プレゼント

一条真也です。

今日は、わたしの47回目の誕生日でした。
朝、出社すると、「おめでとうございます!」と声をたくさんかけてもらいました。
また、読者の方々をはじめ多くの方々がバースデー・プレゼントを下さいました。
お花、お酒、お菓子、ネクタイ、小物、それにバースデー・カード・・・。
2人の娘たちも小遣いを出し合って、GAPのTシャツを3枚もプレゼントしてくれました。
「母の日」と「父の誕生日」が2日連続なので、彼女たちにも散財させてしまいました。
でも、人にプレゼントすることの喜びを知ってくれれば、親として本望です。


                  プレゼントに囲まれて


ところで、「プレゼント」という言葉の語源はラテン語で「現在」という意味だそうです。
わたしは、このことを小林正観氏の著書『釈迦の教えは「感謝」だった』(風雲舎)という本を読んで、知りました。
今あるものは全部が神様からのプレゼントなのです。
要求をぶつけて、「何か欲しい」「早く寄こせ」という人がいれば、神様はそういう人間にさらなるプレゼントはしません。
わたしは、小林氏の本を読んで、水の入ったコップを連想しました。
コップに半分残った水。まあ、水ではなく、わたしの好きなシャンパンでもチューハイでも何でもいいのですが、それを見て、どう思うか。
ずばり、「もう半分しかない」と思うか、「まだ半分ある」と思うか。前者はその後に「困った」という言葉が、後者は「良かった」という言葉が続くでしょう。
そして、「求めよ、さらば与えられん」とするキリスト教的発想においては「もう半分しかない」と思い、「足るを知る」仏教的発想においては「まだ半分ある」と思いがちではないでしょうか。どちらが幸福感を得られやすいかはいうまでもありません。
大切なことは、「まだ半分ある」の向こうには、そもそも最初に水が与えられたこと自体に対して「ありがたい」と感謝する心があることです。
やはり、「感謝」は「幸福」への入口であるようです。



それにしても、今日は多くの方々からたくさんのプレゼントを頂戴しました。
本当に心から感謝しています。ありがとうございました!
プレゼントといえば、ジッタリンジンの「プレゼント」という歌が大好きです。
こんなにPOPでセンチメンタルな歌はありません。
出てくるプレゼントも、キリンが逆立ちしたピアスやフラッグチェックのハンチングから、
ヴィヴィアン・リーのブロマイドやヘップバーンの写真集やバデイ・ホリーのドーナツ盤まで、じつにバラエティに富んでいます。
シャガールみたいな青い夜」とか「あの日生まれた恋心」なんていうのは最高に詩的なフレーズですね。永遠の名曲だと思います。


2010年5月10日 一条真也