『ものの考え方』

一条真也です。
最近、哲学が面白くて仕方がありません。
今日、哲学についての著書を書くことが決定しました。
その名も、『140字でつぶやく哲学』(中経の文庫)!
どんな本になるかは、書き上げてからのお楽しみです。
おそらく前代未聞の本になるでしょう。
ヒントは140字。そう、ツイッターですね。
いま、「先祖」や「隣人」についての本も執筆準備中なので、「哲学」の刊行はいつになるかわかりません。でも、それぞれのテーマは重なり合っています。
たぶん、書き始めたら、3冊を同時並行で書くでしょう。



ということで、またまたユニークな哲学者の本を読みました。
『ものの考え方』串田孫一著(学術出版協会)です。
田中美知太郎の『生きることの意味』と同じ版元から出た「待望の復刻」です。
1915年に生まれ、2005年に亡くなった著者は、哲学者でありながら詩人や随筆家として活躍した人です。
さらには登山家としても知られ、『山のパンセ』などの名著を残しています。


                 哲学者にして登山家の考え方                 


わたしは、自分でものを考えるということが非常に大事だと思っています。
最近、平成心学塾や会社の総合朝礼で「思考力」について話しました。
特に、現在のような高度情報社会においては、「ものを考えること」が求められます。
インターネットをはじめとして毎日のように発信される情報量は膨大です。
まさに、情報の洪水ですね。その中には、得体の知れない匿名ブログなどの類も混じっていて、しかもそれをグーグルの検索ロボットが拾ってしまったりするわけです。
そんな怪しい情報を真に受けていたら大変です。
そこで、上面の情報に踊らされず、その情報の真偽を判断し、さらには自分の頭で考える「思考力」が求められます。


 
思考力を持つためには、まず問題意識を抱くことが大切でしょう。
そして、問題意識を抱いたら、それについて考え続けることが大切です。
リンゴが木から落ちるのを見てニュートン万有引力を発見したというエピソードは有名ですね。この話はじつは眉唾だそうですが、ニュートン万有引力について考え続けていたことは事実です。ニュートンは、「どのようにして万有引力を発見したのですか?」という質問に対して、こう答えたそうです。
「発見にいたるまで、いつもいつも考えていることによってです。問題をいつも自分の前に置き、暁の一筋の光が射し込み、それから少しずつ明るくなり、本当にはっきりしてくるまで、じっと待っているのです」と。
結局は、明確な問題意識と持続的な集中力ということでしょう。
ある一つの問題について、すべての精神を集中して考え続けること、それが史上最大の発見につながったのです。



さて、本書の冒頭のエッセイ「考える楽しみ」で、著者は次のように述べています。
「無理矢理に考えなければならないことは辛いことです。いくらそれが手段で、先に立派な目的があるにしても、恐らく無駄な骨折りです。けれども、自分から考えたいことを見つけ、そのことのために、深く思いに耽ることは楽しいことです」
そう、自分から自発的に考えることは、人生における大いなる楽しみなのです。
そして、著者が考えに考えた軌跡は、次のようなタイトルで本書に収められています。
「疑いについて」「哲学について」「倫理学について」「美について」「宗教について」「幸福について」「快楽と苦悩について」「運命について」「孤独について」「経験について」「告白について」「嘘について」「感覚について」「羨望について」「嫉妬について」「恐怖について」「怒りについて」「憎悪について」「悲哀について」。
そのテーマの幅広さというか総合性は、かの三木清の名著『人生論ノート』を彷彿とさせます。なつかしい、わが青春の愛読書です。
考えることは楽しいとはいっても、人間はまた精神的な悩みがあるとき、深く思いに耽ります。そして、いくら考えに考えても、悩みというものは消え去りません。
本書の最後で、著者は次のように読者に語りかけます。
「精神的な悩みは、若い時には誰にでも激しく襲いかかります。それは人間の成長のためにどうしても避けられないことです。なるべく早くその解決の鍵をさがしあてることは、必ずしもその人のために有益なこととは申せません。勿論、精神的な悩みと言っても、健康状態よりはずれたようなものもあり、肉体を損うにいたることもあります。これは何とかして避けるようにしなくてはなりません。そのような時には、恐らく肉体の方に何か原因があると思います。悩みということと、蒼白なやつれた顔とを勝手に結びつけることはよくありません。健全な、人間的な悩みを知らなくてはいけません。それは楽しいはずのものです。僕はそんな悩みならば、生涯続けるべきだと思っています。」
なんと、悩むことさえも楽しいとは!
著者は、哲学者であると同時に、登山家でもありました。
哲学・思想関係の著述だけでなく、登山家としての体験をふまえた山の紀行やエッセイなども多く書き残しています。
著者にとって、登山とは苦しく、また楽しい体験であったことでしょう。
「人生もまた登山のようなものである」。
そのように、著者は言いたかったのかもしれませんね。


2010年6月18日 一条真也