一条真也です。
ムーンギャラリーオープンとあわせて、念願であったグリーフケア・サポートのための会員制組織をスタートしました。愛する方を亡くされた、遺族の方々のための会です。
「月あかりの会」という名前にしました。
現在、「サンレーグランドホテル」を舞台に活動するNPO法人ハートウェル21・隣人むすびの会(会員2300名)、旅講(会員950名)、カルチャー教室44(会員860名)とのタイアップを行い、「月あかりの会」会員のグリーフケア・サポート活動をメインに生きがいづくり、仲間づくり、健康づくり等の総合的な支援活動を行います。
また、「月あかりの会」の組織拡大と総合的なグリーフケア・サポートを目指します。
今日は、「サンレーグランドホテル」で恒例の「月の法宴」が開催されました。
1年以内に身内を亡くされた方々の合同慰霊祭です。
70名以上のご遺族の方々がお越し下さいました。
みなさんがロウソクで献灯される姿を見ているうちに、故人の幸せを願う心がひしひしと感じられて涙が出てきました。
それで、その後の主催者挨拶では言葉が詰まってしまいましたが、今日から「月あかりの会」を発足させていただくことを宣言いたしました。
なぜ、「月あかり」かというお話もさせていただきました。
わたしは月を見ていると、亡くなった人々のなつかしい面影が心に浮かんできます。
世界中の古代人たちは、死者の魂は月に行くものだと信じました。
規則的に満ち欠けを繰り返す月は、人間の「死と再生」のシンボルだったのです。
「釈尊」ことブッダは、満月の夜に生まれ、悟りを開き、亡くなったとされています。
そのブッダは、「生老病死」を4つの苦悩としました。
わたしは、人間にはもうひとつ大きな苦悩があると思っています。
それは、愛する人を亡くすことです。
老病死の苦悩は自分自身の問題ですが、愛する者を失うことはそれらに勝る大きな苦しみではないでしょうか。
配偶者を亡くした人は、立ち直るのに3年はかかると言われています。
幼い子どもを亡くした人は10年かかるとされています。
こんな苦しみが、この世に他にあるでしょうか。
一般に「生老病死」のうち、「生」はもはや苦悩ではないと思われています。
しかし、ブッダが本当に「生」の苦悩としたかったのは、誕生という「生まれること」ではなくて、愛する人を亡くして「生き残ること」ではなかったかと、わたしは思うのです。
それでは、ブッダが苦悩と認定したものを、おまえごときが癒せるはずなどないではないかという声が聞こえてきそうです。
たしかに、そうかもしれません。
でも、日々、涙を流して悲しむ方々を見るうちに、「なんとか、この方たちの心を少しでも軽くすることはできないか」と思いました。
アメリカのグリーフ・カウンセラーのE・A・グロルマンは、次のように述べています。
親を亡くした人は、過去を失う。
配偶者を亡くした人は、現在を失う。
子を亡くした人は、未来を失う。
恋人・友人・知人を亡くした人は、自分の一部を失う。
それぞれ大切なものを失い、悲しみの極限で苦しむ方の心が少しでも軽くなるようお手伝いをすることが、わが社の使命ではないかと思うようになったのです。
そして、わたしは『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)を書きました。
さらに本日、「月あかりの会」を発足させました。
グリーフケア・サポートをスタートさせることは、じつに20年来の悲願でした。
わが社の葬祭部門では、愛する人を亡くした人に対して何ができるのか、どのような言葉をおかけすればよいのかを全社員が毎日考えています。
でも、必要以上に言葉に頼ってはなりません。
もちろん、通夜や告別式で、悲しんでおられるお客様に慰めの言葉をかけることは必要なことです。
しかし、自分の考えを押し付けたり、相手がそっとしておいてほしいときに強引に言葉をかけるのは慎むべきです。
ただ、黙って側にいてさしあげるだけのことがいいこともある。
共感して、一緒に泣くこともある。微笑むことがいいこともある。
いまだ理想には程遠いですが、これからも、「愛する人を亡くした人へ」のメッセージをお届けする会社にしたいと願っています。
「月あかりの会」の発足に際して、わたしは次のような短歌を詠みました。
「亡き人の面影浮かぶ月あかり 集ひて語る心の絆」
長年の念願がかない、今日は感無量です。
これから、金沢へ出張です。では、行ってきます!
2010年6月21日 一条真也拝