「かあさんの下駄」

一条真也です。

富澤一誠著『あの素晴らしい曲をもう一度』(新潮新書)の最後に紹介されている歌が、すぎもとまさと「吾亦紅」、中村ブン「かあさんの下駄」の2曲です。
著者の富澤氏は今こそ「家族」の歌が必要であるとし、この2曲を紹介したのです。


「かあさんの下駄」が歌っているテーマには、「家族」とともに「貧困」があります。
最初、この歌は1979年11月にリリースされました。
しかし、まったく売れなかったそうです。時代はバブルに向かって一直線であり、「貧乏物語」のような歌はお呼びではありませんでした。
しかし当時、著者は中村ブンのコンサートでこの歌を聴いた瞬間、虜になったとか。
そのときの模様を、著者は79年7月2日付「ミュージック・リサーチ」に次のように書いています。少し長くなりますが、ご紹介しましょう。
「貧乏をして男物の下駄しかはくことのできない母を、小学校六年生の男の子が見ている。母さんに新しい下駄をなんとか買ってあげたいと、弁当代をもらう中から五円ずつためて、母さんに下駄を買ってあげるという親孝行者。ただし、この歌の良さは単なる親孝行ものではなく、そこにサビがきいているところだ。下駄を包んだ包みを渡したら、母はこわい顔をして、お前これどうしたの?まさか盗んできたのではないか?母さんはいくら貧乏してても、人様の物に手をかけるような子にお前を育てた覚えはない、と問い質す。それを受けて、男の子は毎日ためていたんだと言う。
 このあたりのフレーズは実に泣かせるし、じーんと感動がこみ上げてくる。『かあさんの下駄』は中村の実体験が下じきになっているだけに、事実の持つ迫力がある。決して歌は上手くはないが、この歌に限っては、中村は“最高の歌い方”をしている。シングルにして賭ける価値はある。日本人に良心がある限り、この歌は世代を超えてきっと売れるはずだ」



この文章がきっかけになって、「かあさんの下駄」のシングル化が決定したそうです。
そして、2008年5月、じつに30年ぶりに再発売されたというわけです。
なぜ、これほど経ってから再発売かというと、中村ブン自身がこの歌をずっとライブやコンサートで歌い続けてきたということがあります。
そして、富澤氏がいうように、そこには今の時代背景があります。
映画「ALWAYS 三丁目の夕日」とその続編の大ヒットに見られるように、昭和という良き時代が見直されています。
昭和ノスタルジーの本質とは、家族のあたたかさであり、親子の愛情であり、母親の思い出などではないでしょうか。富澤氏は述べます。
「日本人の根底にある理想の姿を多くの人たちが求めているからこそ、この歌が必要とされているのでしょう。その意味では、『かあさんの下駄』は今の時代が必要としている志のある歌なのだと、この歌の存在を見つめながら思っています」



わたしは、「かあさんの下駄」を聴いて泣きました。
この歌を聴いて、もし「ダサい」とか「イケてねえ」とか「貧乏くせえ」などという人がいたら、その人はもう人間やめたほうがいいと思います。
そして、この歌には日本人を幸せにする力があると思いました。
わたしは、『法則の法則』(三五館)という本を上梓しました。
なぜ、この本を書いたかというと、「法則」についての本が大ブームだったからです。
「法則」本ブームには気になることがありました。それは、どうも「成功したい」とか「お金持ちになりたい」とか「異性にモテたい」といったような露骨な欲望をかなえる法則が流行していることでした。
いくら欲望を追求しても、人間は絶対に幸福にはなれません。
なぜなら、欲望とは今の状態に満足していない「現状否定」であり、この宇宙を呪うことに他ならないからです。
ならば、どうすれば良いのか。それは、「現状肯定」して、さらには「感謝」の心を持つことです。そうすれば、心は落ち着きます。
コップに半分入っている水を見て、「もう半分しかない」と思うのではなく、「まだ半分ある」と思うのです。さらには、そもそも水が与えられたこと自体に感謝するのです。
では、まず何に感謝すればよいか。
それは、自分をこの世に生んでくれた母親に感謝することがスタートでしょう。
母に感謝すれば幸福になれる!
意外にも超シンプルなところに、「幸福になる法則」は隠れていたのです。
ということで、不幸大国・日本が「最小不幸社会」になるためには、「かあさんの下駄」が大ヒットすればいいと思います。ほんとに。


2010年7月1日 一条真也