落語会

一条真也です。

今日の「サンクスフェスタ」では、さまざまな催しが開かれました。
人気の「落語会」も開催されました。
若手のホープである三遊亭白鳥の独演会に、2000名を越える方々が集まりました。
会場となった大ホールは笑いの渦に巻き込まれました。


                大勢のお客様で埋まった落語会


読んで字のごとく「オチを語る」ものが落語です。
話が最高に盛り上がったところで、ストンと落とされて大笑い。
笑うことが気持ち良いのはいつの時代も変わりません。
「一怒一老」という言葉があります。一回怒ると一歳老けるという意味です。
逆に「一笑一若」、つまり、一回笑えば一歳若くなるというのです。
別に「老い」よりも「若さ」を良しとする必要はありませんが、たしかにストレス解消法としては「笑い」は絶大な力をもちます。
三遊亭白鳥も、「笑いは血糖値を下げる!」と言っていました。(笑)


                    笑いは血糖値を下げる!


笑いのない生活は、無味乾燥で楽しくも面白くもありません。
笑うことは脳を刺激して、元気にさせる効果があるのです。
落語の起源は安土桃山のころで信玄や信長などの戦国大名もからんでいますが、いわゆる古典落語の多くは江戸から明治の時代に成立しました。
そこには横丁のご隠居がよく登場し、かなり尊敬されています。若者たちが相談したり、からかったりと、いわば情報コミュニティの中心でした。
落語は「好老社会」である江戸を支える文化だったのです。


                    笑う門には福来たる!


「笑う門には福来たる」という言葉があるように、「笑い」は「幸福」に通じます。
笑いとは一種の気の転換技術であり、笑うことによって陰気を陽気に、弱気を強気に、そして絶望を希望に変えるのです。
他人の笑いからもプラスの気を与えられます。
特に元気な子どもの笑い声など、人間の精神の糧になるだけでなく、肉体にも滋養になるそうです。「童(わらべ)」の「わら」と「笑い」の「わら」とは通じているのです。
笑うとは、子どものように純粋で素直な心になることなのです。
さらに「笑い」とは、この世に心の理想郷をつくる仕掛けではないでしょうか。
地上を喜びの笑いに満たすことが政治や経済や宗教の究極の理想だと思います。
「笑い」のない生命には、活気も飛躍も創造もありません。
「笑い」のない宗教も哲学もどこかいびつで、かたよっています。
実際、ソクラテスはよく笑いましたし、老子もよく笑いました。
如来もそうですし、ブッダもしかりです。



わが社の 経営理念「S2M」の一つに「スマイル・トゥー・マンカインド」を加えたとき、営業や冠婚部門に笑顔が必要なのは当然だが、葬祭部門には関係ないのではと思った方がいたようです。
しかし、それは誤った認識です。仏像は、みな穏やかに微笑んでいます。これは優しい穏やかな微笑みが、人間の苦悩や悲しみを癒す力を持っていることを表しています。
葬儀だからといって、暗いしかめ面をする必要などまったくないのです。
わが会社が運営するセレモニーホールの「お客様アンケート」を読むと、「担当の方の笑顔に癒されました」とか、「担当者のスマイルに救われた」などの感想が非常に増えてきています。これは大変嬉しいことです。
もちろん、葬儀の場で大声で笑ったり、ニタニタすることは非常識ですが、おだやかな微笑は必要ではないかと思います。
わが社では、「サンクスフェスタ」の他にも、「隣人祭り」をはじめ、さまざまなイベントで落語会を企画しています。
一部では、「落語のサンレー」として知られているようです。(笑)
地域の方々に喜んでいただき、大いに笑っていただき、たくさん長生きしていただければ、こんなに嬉しいことはありません。


2010年7月3日 一条真也