終活本

一条真也です。

今日の「朝日新聞」朝刊の読書のページにある「本の舞台裏」という連載コラムで、葬儀に関する本が取り上げられていました。「『終活本』続々発売」というタイトルです。
島田裕巳著『葬式は、要らない』『戒名は、自分で決める』(いずれも幻冬舎新書)などと一緒に、拙著『葬式は必要!』(双葉新書)も紹介されていました。


               7月25日付「朝日新聞」朝刊より


「就活」ではなく、「終活」。「最期」の時に向けて、葬儀や墓の準備をはじめることです。
もちろん造語ですが、もともとは「週刊朝日」で2009年8月〜12月まで連載された「現代終活事情」で誕生した言葉です。この連載に加筆したムック本『わたしのお葬式 自分のお墓』(朝日新聞出版)も発売されています。


                  17年前の究極の「終活本」


しかし、朝日が手がけた葬儀や墓の本といえば、わたしは1993年に刊行されたという本を思い出します。『死よ!!』(朝日新聞社)という斬新なタイトルでした。
サブタイトルが「だれにも言わなかった死とお葬式の楽しみ方」となっており、朝日ワンテーママガジンの1冊として刊行されたものです。
今からもう17年も前の本ですが、この本、じつは究極の「終活本」でした。


               島田裕巳一条真也も登場しています


第1章「私の遺言」で、鈴木清順淡谷のり子平山郁夫水の江瀧子三國連太郎淀川長治といったビッグネームたちが自身の遺言について淡々と語ります。
第2章「この人たちから死に方を学ぼう」では、アルフォンス・デーケン、山田風太郎といった、これまた大物が登場します。
そして、第3章「葬式仏教と葬儀」では、山折哲雄島田裕巳という2人の宗教学者や、宗教評論家ひろさちやさんなどとともに、なんと弱冠29歳の小生が登場しています。
ちなみに、わたしのタイトルは「月面霊園造ります 三〇年後、あなたもかぐや姫」というもので、島田裕巳氏は「みんなで死ねば怖くない」というものでした。
ちなみに、あの地下鉄サリン事件が起こるのは、この2年後です。


                  18年前の「終活」特集雑誌


「本の舞台裏」には、さまざまな葬儀の特集を組んだ雑誌も紹介されていますが、わたしが今ままでで一番内容が充実していたと思う雑誌の葬儀特集があります。
1992年7月刊行の『季刊 仏教』第20号(法蔵館)の「特集=葬式を考える」です。
この雑誌には単行本で3冊分、新書ならば5冊分くらいの情報が満載されています。
執筆人も、『バカの壁』で大ブレークする前の養老孟司をはじめ、文化人類学者の波平恵美子、火葬研究の第一人者・鯖田豊之、霊柩車研究の第一人者・井上章一、散骨ブームの立役者・安田睦彦、エンディングノート・ブームの立役者・井上治代といった、業界では超有名な人々がずらりと並んでいます。
まさに日本人の「終活」を考えるためのオールスターが勢揃いした観があります。
そして、その筆頭には、またしても島田裕巳氏の名前が。オウム事件の3年前で、島田氏は新進気鋭の宗教学者として飛ぶ鳥を落とす勢いでした。
島田氏は「現代における葬儀はいかにあるべきか」という文章を書かれています。
「恩師の死」からはじまり、「イニシエーションとしての葬儀」の意味を考える、素晴らしいエッセイです。なぜ、これほど葬儀の意味と役割を知っていた人が、現在は葬式無用論の代表格となったのか、不思議でなりません。



この雑誌の最後には、当時28歳だった小生の名前もあります。
わたしは「21世紀の『葬』を構想する」というタイトルで、「死は、けっして不幸ではない」「葬から送へ」などの持論を早くも述べています。
すべては、『ロマンティック・デス〜月と死のセレモニー』(国書刊行会)を書いた27歳のときに生まれた考えです。その後、この本は幻冬舎から『ロマンティック・デス〜月を見よ、死を想え』のタイトルで文庫化されました。
さらにその後、島田氏は同じ幻冬舎から新書で『葬式は、要らない』を出されました。
島田氏との因縁、もとい、御縁(笑)は、18年前から始まっていたのですねぇ。
そういえば、初めて島田氏にお会いしたのも『季刊 仏教』の版元である法蔵館主催のパーティーでした。わたしは鎌田東二さんに連れていっていただいたのですが、そのとき、島田氏の他にも、養老孟司山折哲雄橋爪大三郎上田紀行カール・ベッカーといった方々を鎌田さんから紹介していただきました。



今日の「朝日新聞」朝刊には、『お墓なんて、いらない』中村三郎著(経済界)という本の広告も出ていました。じつは先日、ブログ「フューネラルビジネス講演」に書いたようにパシフィコ横浜で講演したとき、主催者の綜合ユニコムの方から、「今度、『葬式は、要らない』のお墓版が出るようですよ。反論本は書かないのですか?」と言われました。
もちろん、書きませんよ。わたしは、別に反論本作家じゃありませんから。(笑)
でも、いま執筆中の『先祖とくらす』(双葉新書)が近い内容になるかもしれませんね。
わたしは、葬儀にしろ墓にしろ現状のままで100%良いとは思っていません。
ドラッカー思考の「継承と革新」ではありませんが、葬儀も墓も変えるべき部分と変えてはならない部分とがあると思います。



朝日の書籍広告といえば、一面に『現代人の祈り釈徹宗内田樹名越康文著(サンガ)という本の広告が出ていました。
釈徹宗内田樹の両氏といえば、ブログ『現代霊性論』で同書の書評を書かせていただきました。両氏の発言は、『葬式は必要!』にも引用させていただいています。
書籍広告では、内田氏が『現代人の祈り』について次のように口上を述べています。
「現代においても古代と同じように、『呪い』は依然として活発に機能していて、人々の生きる力をゆっくり、でも確実に殺(そ)いでいます。『どのようにして呪いを「祓(はら)う」のか』という、誠に実用的な課題に答える本です」
いやあ、これは面白そうですね!しかも、サブタイトルが「呪いと祈り」となっています。
これは、絶対に読まなければ!ということで、これから書店に行ってきます。


2010年7月25日 一条真也