葬儀めぐる議論

一条真也です。

昨日は、ようやく『隣人論』(仮題)を脱稿し、久しぶりに熟睡しました。
朝起きて、メールをチェックすると、「出版寅さん」こと内海準二さんからメールが。
それによると、今朝の「日本経済新聞」の「SUNDAY NIKKEI」に、『葬式は必要!』が写真入りで取り上げられているとのこと。


               日曜日には、葬儀について考えよう!


早速、日経を開いてみると、ありました。
「今を読み解く」という特集で、国学院大学教授の新谷尚紀氏が「葬儀めぐる議論、活発に」を寄稿されており、そこには島田裕巳著『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)と拙著『葬式は必要!』(双葉新書)の2冊が写真つきで紹介されていました。
新谷氏は、時代のキーワードとして「無縁化」をあげ、次のように述べています。
「これらの葬儀をめぐる議論の歴史的な遠因は、1950年代半ばから70年代半ばにかけての高度経済成長にある。技術革新や経済の変化はおよそ20年の時差をもって社会の変化や意識の変化となって現れる。90年頃のキーワードの一つは『個人化』であったが、あれから20年のいま、キーワードは『無縁化』である」



「無縁化」がキーワードであることに異論はありませんが、技術革新や経済の変化が社会の変化や意識の変化となる時差については、わたしは違う意見を持っています。
偉大な社会生態学者でもあったピーター・ドラッカーは、その時差を約「50年」、つまり半世紀としています。新谷氏の「20年」説より30年長い。
ドラッカーによれば、西洋の歴史では、数百年に一度、際立った転換が行なわれるといいます。そして社会は、数十年かけて、次の新しい時代のために身を整えます。
世界観を変え、価値観を変えます。社会構造を変え、政治構造を変えます。技術や芸術を変え、機関を変えます。やがて50年後には、新しい世界が生まれるというのです。
たとえば、1455年のグーテンベルクによる植字印刷や印刷本の発明の約半世紀後にはルターによる宗教改革が起こりました。また、1766年にアメリカが独立し、ジェームズ・ワットが蒸気機関を完成し、アダム・スミスが『国富論』を書いた半世紀後、産業革命が起こり、資本主義と共産主義が現れました。
このように、大いなる変革の約50年後に社会が変化するというのが「ドラッカーの法則」です。このドラッカーの法則によれば、敗戦による戦後の日本人の共同体意識の変化、そして家族意識の変化が最大の原因であるように思うのですが。
「日本民俗学の父」である柳田国男は、65年前に書いた『先祖の話』において、今日の無縁社会を予見していたように思います。
イノベーションが人間の意識に影響を与える時差といった問題は、「京都の美学者」である秋丸知貴さんの専門分野ですので、今度、意見を聞いてみたいと思います。



おかげさまで『葬式は必要!』は好評のようで、順調に版を重ねています。
今月15日には、続編として『ご先祖さまとのつきあい方』(双葉新書)を上梓します。
この本は、『先祖の話』で柳田が現代日本人に向けたメッセージを読み解き、無縁社会を乗り越える方策を具体的に提示しています。
また偶然にも、現代日本における民俗学の第一人者である新谷尚紀氏の著者の内容も、『ご先祖さまとのつきあい方』に引用させていただいています。



「葬儀をめぐる議論、活発に」の最後に、新谷氏は次のように書かれています。
「『葬儀の商品化』が急速に進んだこの20年間、消費者は確実にそのサービス価値を見極める鑑識眼を身につけてきている。一人ひとりが生と死の意味に正面から向き合う、そして選択する、いまこそそれが求められている、そんな時代の到来を感じる」
わたしも、まったく同意見です。
わたしも、「一人ひとりが生と死の意味に正面から向き合う、そして選択する」時代において、日本人が最期の儀式に迷わないように尽力する覚悟です。


2010年9月5日 一条真也