父の誕生日

一条真也です。

このブログも、ついに600回目になりました!
いつも読んで下さっている方々には、心より感謝しています。
さて、今日は9月26日。父の75回目の誕生日です。


                   父が75歳になりました


わたしは、妻と2人の娘と一緒に実家へ行き、父に「誕生日おめでとうございます!」と言って、プレゼントと誕生日カードを渡しました。父は、とても嬉しそうでした。
父は、今日から後期高齢者になります。
しかし、自分は「高貴高齢者」、さらには「光輝好齢者」になりたいと語っていました。
また、老いには「老入」「老春」「老楽」「老遊」「老童」「老成」といった段階があり、高齢者になったら何事も陽にとらえる「陽転思考」が必要であると強調していました。


               社員旅行で訪れた長崎のグラバー園

              サンレーグランドホテルの「月の法宴」で


わたしのキャッチフレーズになった感のある「天下布礼」は、父からの受け売りです。
また、これも父の影響なのですが、わたしは孔子を非常に尊敬しています。
それで何かあれば、『論語』を読むことにしています。
その『論語』には、次のあまりにも有名な言葉が出てきます。
「われ十五にして学に志し、三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳従う。七十にして心の欲する所に従って矩を踰えず」
60になって人の言葉が素直に聞かれ、たとえ自分と違う意見であっても反発しない。
70になると自分の思うままに自由にふるまって、それでいて道を踏み外さないようになった。ここには、孔子が「老い」を衰退ではなく、逆に人間的完成としてとらえていることが明らかにされています。
孔子と並ぶ古代中国の哲人といえば老子ですが、老子の「老」とは人生経験を豊かに積んだ人という意味です。また、老酒(ラオチュー)というように、長い年月をかけて練りに練ったという意味が「老」には含まれています。
さらに、日本人の「こころの柱」である神道においては、「老い」とは神に最も近い存在である「翁」となる過程に他なりません。
そう、人は老いるほど豊かになるのです!
その真理を、父が自らの人生をもって実証してくれていると感じました。
これからも、父には元気で「老い」を満喫してほしいと思います。
そして、光り輝く好齢者になってほしいと心から願っています。


                 人は老いるほど豊かになる


2010年9月26日 一条真也