リンク

一条真也です。

今日は、日曜日です。
わたしは冠婚葬祭業なので、本当は日曜祭日はあまり関係ありません。わが社の冠婚と葬祭の両施設に出向くこともしばしばなのですが、それでも日曜日は日曜日です。
そして日曜は、「サロンの達人」こと佐藤修さんのHPが週に1度更新される日です。
さきほど、佐藤さんのHPを開いてみたら、わたしのブログが紹介されていました。


               佐藤修さんのHPにリンクを貼られました


わたしは、佐藤さんのHPやブログをよく読ませていただいています。
昨日のブログ記事「伴侶の存在の意味」にも深く考えさせられました。
最近、わたしはブログで佐藤さんの発言を引用することが多かったのですが、今回わたしのブログを紹介していただき、大変ありがたく思っています。なにしろ、佐藤さんのHPは閲覧者数もさることながら、閲覧者のレベルが高いことで有名ですから。
「リンク一覧」を見てみると、大学の研究者や市民運動家の方のHPやブログをはじめ、少しでもこの社会を良くしていこうという方々のサイトがズラリと並んでいます。
まことに光栄なことに、わたしのHP「ハートフルムーン」が一番上に置かれています。
まあ、50音順なので当然なのですが(笑)、その説明文には「このサイトは一つの宇宙を構成しています。実に刺激的で深いです」と書かれています。嬉しいお言葉です。


                  佐藤さんが貼ってきた多くのリンク


ところで、すっかり社会に定着した感のあるネット上の「リンク」という行為ですが、これには深い思想が秘められているように思います。
「人間は社会的動物である」と言ったのはアリストテレスですが、近年の生物学的な証拠に照らし合わせてみると、この言葉はまったく正しかったことがわかります。
人間が生物学的に成功したのは、ひとえに共同体とその協力行動のおかげです。
ただしここでいう共同体とは、構成メンバーが互いに直接顔を合わせることのできる範囲、すなわち、村でした。もともとは血縁関係を基本にして構成されてきたこのような共同体は、相互協力行動や相互利他行動、つまりは「相互扶助」の単位でもあります。



ところが現代の大都市というのは、よそ者、旅人、異邦人が大集合してできたものです。そこには相互扶助も共同体も、そもそも存在しえないのです。
だが一方で、都市には「匿名性の快楽」とでもいうべき都会の気楽さというものがあります。匿名性の快楽は、おそらくは共同体からの拘束と表裏一体をなします。
古今東西どんな共同体でも、無礼講の緩衝地帯とか、年2回の村祭りとか、そのためのガス抜きシステムを内在化してきました。
いかに共同体を人間の心が求めているといっても、共同体からの制約を受ける一方では息苦しくなります。だから、日常(ケ)の共同体生活を維持するためにこそ、そこからの逸脱(ハレ)が必要となるのです。そして都市とは、こういった定期的ガス抜きシステムの部分だけを肥大化させたものとも考えられます。
つまり都会の生活とは毎日がハレであり、それゆえに都会生活者は疲れるのです。



都会の長所を活かしたまま、共同体を復活させることは可能でしょうか。
かなり困難な問題でしょうが、そこを突破しないと社会は機能しなくなってしまいます。
ブログ「うつし世の静寂に」に書いた、佐藤さんに教えていただいたドキュメンタリー映画のテーマも、そのあたりにあったように思います。わたしは、冠婚葬祭や隣人祭りなどを通して、少しでも共同体における「地縁」「血縁」を再生させたいと願っています。
一方で、「昔ながらの共同体を復活することは困難であり、従来の共同体と同じ役割のものが再生できれば、それでよい」という考え方もあります。たとえば、インターネットなどの電子メディアなどが、共同体の機能を代替しうるかもしれないというのです。考えてみれば、いろんなホームページの最後に張ってある「リンク」というシステムは、きわめて相互扶助的であると言えるでしょう。



もちろん、どんな相手とでもリンクすればいいというものではありません。
わが社も、同業者などからリンクを依頼されることがありますが、その場合は慎重に対応しています。じつは明日、わたしが副会長を務めている全国冠婚葬祭互助連盟(全互連)の理事会が東京で開催されるのですが、加盟各社のHPがリンクを貼り合うという議題が用意されています。いくら同じ団体とはいえ、同一の営業エリアでバッティングしている会社もあり、安易にリンクを貼れば会員様やお客様が混乱する可能性もあります。
ちなみに、佐藤修さんも厳しい選択眼のもとに、ご自身のHPにリンクを貼られているように思います。もし、社会的に問題を起こすような人物や団体のHPを掲載したとしたら、他のまともなHPが迷惑を受けるからです。


              多くのNPOをリンクするお手伝いがしたいです


佐藤修さんのHPに貼られたリンクを見ると、NPO関係のものが多いことがわかります。
佐藤さんご自身が、多くのNPO活動に関わられているからです。
ブログ「互助社会」に書いたように、わたしは、(社)全互協の社会貢献基金助成金交付を通じて、多くのNPO同士をリンクするお手伝いをしたいと考えています。
まだ日本においては問題点を残しているとはいえ、今日必要とされる市民にとってのコミュニティを考えたとき、やはり、非営利組織つまりNPOの存在が重要です。
誰よりもNPOの重要性を強調したのが、かのピーター・ドラッカーです。彼によれば、誰もが自由に選べるコミュニティが必要となる中で、NPOだけが、教会から専門分野別の集団、ホームレス支援から健康クラブにいたる多様なコミュニティを提供できます。
それはNPOだけが、もう一つの都市社会のニーズ、すなわち市民性の回復を実現しうる唯一の機関だからです。またNPOだけが、一人ひとりの人間に対し、ボランティアとして自らを律し、かつ世の中を変えていく場を与えるからです。



ドラッカーNPOに対する期待の大きさは、それは大変なものでした。
なにしろ、21世紀の人類社会をマクロに予見した彼の名著『ネクスト・ソサエティ』(上田惇生訳、ダイヤモンド社)は、次の一文で終っています。
「二〇世紀において、われわれは政府と企業の爆発的な成長を経験した。だが二一世紀において、われわれは、新たな人間環境としての都市社会にコミュニティをもたらすべきNPOの、同じように爆発的な成長を必要としている」
ネクスト・ソサエティ』はドラッカーの遺著ですから、「知の巨人」ドラッカーが最後の最後に言及したのはNPOへの期待だったのです。
ネクスト・ソサエティ』へのアンサーブックである拙著『ハートフル・ソサエティ』(三五館)にも書きましたが、クロポトキンが人類を含めた生物の本能として見出した「相互扶助」は、壮大な20世紀の実験となった社会主義国家などではなく、地球上の市民一人ひとりが世の中を変えていく場としてのNPOにこそ受け継がれています。
リンクのコンセプトである「相互扶助」こそは、NPOのコンセプトでもあるのです。



なお、『ハートフル・ソサエティ』は著書の中でも思い入れの深い1冊ですが、佐藤さんにもHPの書評で紹介していただき、過分なお言葉を頂戴しました。
また最近、アマゾンに『ハートフル・ソサエティ』の素晴らしいレビューが入りました。
「アルファ」という方のレビューで、「心ゆたかな社会(ハートフル・ソサエティ)へ!」というタイトルです。「心ゆたかな社会」へのわたしの想いを、著者のわたし以上に表現していただき、非常に感激しました。よろしければ、ぜひ、お読み下さい。



それにしても、今朝UPされた佐藤修さんのHPを開いたときは、少々あせりました。
なぜなら、そこにHPにリンクされた「一条真也のハートフル・ブログ」をクリックすると、出てくるトップ記事が、いきなり「おスナックのうた♪」ですよ!(苦笑)
真面目なHP閲覧者の方々は、その能天気ぶりに仰天されたことでしょう(泣笑)。
佐藤さんも、「話題は多岐にわたりますが、それが一条さんの生活ぶりです」と書かれたあと、多くのブログ記事の底に流れているのは「ハートフル」と指摘され、さらには「一条さんのたくさんの著作が生み出される源泉が感じられます」とフォローして下さっています。おそらく佐藤さんもトップ記事を見て、「あちゃー」と思われたのでしょう(笑)。
それで、すでに用意していたブログ「泣きながら夢を見て」をあわてて先にUPさせ、このブログ記事を速攻で書いた次第です(苦笑)。 もう、たみゃらん!(笑)
佐藤修さん、リンクをありがとうございました。


2010年11月14日 一条真也