からくり記念館

一条真也です。

今日、初雪の降った金沢ですが、暴風や落雷もありました。
雪の科学館」を後にして、今度は金沢港大野にある「からくり記念館」を訪れました。
ここも、以前からぜひ一度来たかった場所でした。


                   「からくり記念館」の前で


わたしは、からくり人形というものに昔から目がなくて、「大人の科学マガジン」の付録だった茶運び人形を作り上げて書斎に置いているくらいなのです。そして、石川県大野町こそは、日本の「からくり」文化に大変縁の深い土地として知られています。
幕末のこの地に、大野弁吉という人物がいたのです。西洋医学、理化学、天文学、さらには機械工学などのスペシャリストでした。彼は、科学知識と職人技を駆使した「からくり」人形や写真機、エレキテルなどの文明の利器を次々と作りました。


                    からくりの歴史と魅力


平安時代末の『梁塵秘抄』の中には、「遊びをせんとや生まれけむ戯れせんとや生まれけん」という言葉があります。まさに、ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)宣言!
この言葉にあるような「遊び」の精神が花開いたのが江戸時代でした。
「パックス・トクガワーナ」などと呼ばれる平和な時代には、現代のわたしたちが考える以上に、江戸の人々は遊び、生活を楽しんでいました。
王侯貴族が遊んだ国は数あれど、庶民がこれほど遊んだ国は他にないのでは?
たとえば、歌舞伎や大相撲も、江戸の庶民が好んだ大いなる「遊び」でした。
「からくり」はそんな遊びの民族が生んだオモチャですが、その時代の先端技術が利用され、日本特有の技術の開花を見ることができます。


                     日本のからくり芝居


「からくり」に仕組まれた日本の職人たちの創意、工夫、技術、美しさへのこだわりは、現代日本のロボットはもちろん、自動車や家電などへの影響が明らかです。
まさに、日本の「モノ」文化を考える上で、からくりの果たす役割は大きいのです。
からくり記念館」は、現代における「からくり」を楽しむ館として、また、今までにないからくり情報発信の拠点として誕生しました。
からくりの世界の楽しさや、その技術にスポットをあて展示公開した場所です。


                      オールヌード!

                     エレキテルの店先                 


館内には、平賀源内が発明したエレキテルの店も再現されています。
エレキテルは、もともと静電気を発生させる摩擦起電器のことでした。
しかし、そのうち電気治療器として医療に使われたりたのです。また、「摂津名所図会」などに紹介されているように、その面白さから見世物や商売にする店まで現れました。


                    のぞきからくりの楽しみ


館内には、なんと「のぞきからくり」もありました。
江戸川乱歩の『押絵と旅する男』などで有名な、アレです。
江戸後期に京坂では「のぞき」、江戸では「からくり」といいました。
のぞきからくりには、直接小さな穴から中の絵や模型を見るタイプといちど鏡で反射させレンズで拡大して見るタイプがあります。
一般に小型のものが多く、諸国大名や上級武士、裕福な商人の間で、いわゆるお座敷の遊興具として普及したそうです。
大型のものは寺社の祭りや縁日、盛り場などで大道芸の見世物として登場し、当時の子ども達に大変人気がありました。
出し物は地獄極楽やお染久松、石川五右衛門忠臣蔵などの物語で、特に決まっていませんでした。5〜6枚の絵が節をつけた語りに合わせ入れ替わりました。
見物料は、4〜8文だったそうですので、現在の60〜120円程度ですね。
館内の「覗きからくり」は実際に見ることができました。なんという喜び! 乱歩ではありませんが、わたしはレンズの中の花魁風の美女に人目惚れしましたよ。


                     茶運び人形の実演


最後は、300年前の江戸時代の茶運び人形の実演も見ることができました。
江戸時代から、日本はハイテク大国だったのだなと痛感しました。
本当に心の底から楽しめて、童心に返ることができました。
ぜひ、また何度も訪れたい場所です。


2010年12月9日 一条真也