祈りの時代

一条真也です。

原発現場では決死の作業が続いています。
作業している方々が家族に残したメッセージなどを見ると、かの神風特攻隊を連想してしまい、涙が出てきます。彼らは現代のサムライです。命をかけて最悪の事態を回避しようとしているサムライたちの姿を見ると、自然と祈らずにはいられません。


                  「朝日新聞」3月18日朝刊


新聞、テレビ、ネットでも、「祈り」の文字が多くなってきました。
佐藤修さんも昨日、ブログ記事「祈り」を書かれました。
その最後に、「祈りましょう。原発現場で作業している人に感謝しながら。被災地で辛い思いをしている人に感謝しながら。そんな気持ちでいっぱいです」と述べています。
海外では、「Pray for Japan(日本のために祈る)」の輪が広がっています。


                     日本のために祈る

                     世界中からの祈り


人間にとって、「祈り」とは何でしょうか。
よく「苦しいときの神頼み」といいますが、あまり良くない意味で使われるように思います。しかし、ある意味で最も人間的で最も自然な心の行為ではないでしょうか。
アメリカのディバイン・サイエンス教会の牧師に、「マーフィーの法則」で有名なジョセフ・マーフィーという人がいます。彼は「神という言葉は法則という意味の古い言葉で、この法則とはあなたの潜在意識のことです」と言っています。また、「祈りとは、否定的な考えを建設的な考えで置きかえることである」とも言っています。
そして、祈りとは、願い、強い願望、大きな期待のことであるというのです。



優れた指導者の目にとまりにくい、あるいは隠れた資質、しかしその要因の一つに「祈り」があるように思います。
何とか自分の願いを成就達成できまいかと願うとき、人間は容易に神や仏を見出すというよりも意識することができるはずです。そういう事態にかかる前に、自分に関する物事をつかさどり律しているのは決して自分だけではありませんし、自分と同じ人間である他人でもないということを悟るなり信じていれば、ある意味で潔い他力本願ができ、たとえ事がかなわなくても、安心安堵ができるはずです。



時は戦国。かの上杉謙信は常に数珠を手にして戦場へ出たといいます。
彼は武田信玄との絶えざる戦いの繰り返しの中で、自分に頼る部下と国の命運を毘沙門天祈り続けたのです。 
時は明治。日露戦争で立ち往生していた旅順の攻撃に途中から参加し、指揮して見事に成功させた児玉源太郎は、天才参謀の名を欲しいままにしました。
しかし彼は、現地の戦闘の渦中、朝、厠から出てくるたびに昇ってくる太陽に向かって祈っていたそうです。宗教心とまったく縁のない児玉が、満州での困難な作戦に心労し、そのあまりに太陽を拝む習慣を身につけてしまったわけです。
天才と呼ばれていた児玉にしてなお、「知恵というのは血を吐いて考えても、やっぱり限界がありました。「最後は運だ」と達観し、その運を引き寄せるために朝日に向かって祈っていたというのです。



時は昭和。伊藤忠商事の会長を務めた故・瀬島龍三氏は、かつて関東軍参謀の一人だったことで知られます。
敗戦軍師としてソビエトに入り、そのまま抑留されて13年間、人間として見てはならぬもの、してはならぬこともやらなければ生きていけない地獄の生活を体験しました。
その瀬島氏が極限状態を意識したのは、シベリアにおける7カ月の独房生活でした。
瀬島氏は、「私は散歩に出されたとき、拾った石のかけらで独房の壁に観音像を刻みつけ、一心不乱に観音経をあげた。人に説明しても理解してもらえないと思うが、発狂しないでこうして帰って来られたのは観音経のおかげだと思っている」と述懐しています。



時は戦後。かつて経団連の会長を務め、我が国の行政改革に大きく貢献した故・土光敏夫氏は、石川島播磨時代の労使紛争の絶えなかったころ、担当役員としてその場に出かける前に必ず毎朝、法華経を唱えて仏壇を拝みました。
そうすると、なぜか自然に自信が湧いてきたそうです。
土光氏は「朝、顔を洗って読経をする。そこから私の一日が始まる。精一杯の務めはするが、凡夫の悲しさで失敗することも多い。そんなとき私はいつも仏前に座っているつもりで心を静める。また、夕方帰宅して仏壇にぬかずき、その日のことを反省し、それでとにかく一日の締めくくりをつける。なぜお経をあげるかって、毎日が不安でしょうがないからだ。私はお経をあげることによって、この不安が鎮まるのです」と告白しています。


                     社員みんなで祈る


祈りの対象は太陽でも神でも仏でもよいのです。人が不可知な力について感じるようになれば、人生そのものに必ず大きな展開がもたらされてくるものなのでしょう。
わが社の社名は、サンレーといいます。意味は「SUNRAY(太陽の光)」「産霊」「讃礼」と3つありますが、事業発祥の地である松柏園ホテル内に顕斎殿、日の出が美しい九州最北端の門司青浜の海岸近くに皇産霊神社をそれぞれいただいています。
元旦には初日の出を拝みながら皇産霊神社で、また11月18日の創業記念日はもちろん、毎月18日にも月次祭として、顕斎殿で神事を執り行います。
早朝から課長以上の役職者を一堂に集め、「世界平和」と「社業発展」の祈りを捧げるのです。ブログ「春季例大祭」に書いたように、昨日も神事を行いました。
松下電器(現・パナソニック)や出光興産をはじめ、企業神をいただいている会社は多いですが、現在こういった神事を会社ぐるみで行うことに対して批判的な見方が存在することはよく知っています。しかし、わが社は神仏に直接かかわる冠婚葬祭業でもあり、社員みんなの心を一つにして祈る行為には現実的な効力があると信じていますから、やめるつもりはまったくありません。



もちろん、自ら何もせずして、ただ神仏にご利益を願うというような浅ましいことは、人間としてすべきではありません。第一、人事を尽くさずに甘えから祈るのは、神仏に対して失礼きわまりないではありませんか!
あくまで、「人事を尽くして天命を待つ」が基本です。
かつて、アメリカが月に向けてアポロを打ち上げた際、あらゆる準備、点検をすべて終え、残るは発射のボタンを押すのみという時に、その責任者は「あとは祈るだけだ」とつぶやいたといいます。これこそ、「人事を尽くして天命を待つ」ということでしょう。
原発での決死の作業をテレビで見ながら、わたしは「何かに似ている」と思いました。
そして、それがアポロのロケットの打ち上げ作業であることに気づきました。
本日、新刊『隣人の時代』(三五館)が発売されます。
「隣人の時代」とは、「祈りの時代」でもあります。
今日も、わたしは祈り続けようと思います。



*なお、このブログ記事は、990本目となります。
これから、1000本目までのカウントダウンをしたいと思います。


2011年3月18日 一条真也