大学に行くことの意味

一条真也です。

東日本大震災の影響で、多くの大学が卒業式を中止しました。
今朝の「読売新聞」によると、新年度の入学式を中止または延期する大学が、東北・関東地方の国公市立446校(短大含む)のうち、少なくとも130校に上るそうです。



                  「読売新聞」3月30日朝刊


じつは、わたしの長女は東京にある大学に入学するのですが、4月4日に予定されていた入学式が中止になりました。わたしは「式典」「セレモニー」というものを何よりも重要視する人間ですので、残念でなりませんでした。
もちろん、関東での現状を見れば、仕方のないことです。
しかし、やはり、新しく大学生となる娘に船出の儀式に参加させてやりたかった。
そこで、「大学に行くとは」ということを考えてほしかった。



さて、関東では大学のみならず、多くの高校の卒業式も中止されています。
そんな学校の中の一つに、立教新座高校があります。
出版寅さん」こと内海準二さんから、「感動的な文章を見つけました」というメールが数日前に来て、「卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。(校長メッセージ)」を紹介してもらいました。同校は立教大学の附属高校の一つです。
当然ながら、卒業生のほとんどは大学に進学します。
そこで、同校の渡辺憲司校長が大学に行くことの意味を見事に語られています。
非常に素晴らしい内容で、わたしも感動しました。以下に紹介させていただきます。



大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。
言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。
現実を直視する自由だと言い換えてもいい。
中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。
遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。
又、それは保護者の下で管理されていた。
諸君は管理されていたのだ。
大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。
無断欠席など、会社で許されるはずがない。
高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。
それは、家庭を持っても変わらない。
愛する人を持っても、それは変わらない。
愛する人は、愛している人の時間を管理する。
大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。
立教新座高校  渡辺憲司校長の挨拶より)



以上の文章はあくまで一部ですので、「卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。(校長メッセージ)」をクリックして、ぜひ全文をお読み下さい。
それにしても、素晴らしいお話をされる校長先生がいらっしゃるものです。
このメッセージは立教大学への進学者だけでなく、すべての大学の入学者に当てはまる内容ではないでしょうか。特に、入学式が中止になった大学の入学者に贈りたい言葉です。長女にも、ぜひ読ませたいと思います。
最後に、わたしも大学の客員教授を務めています。
4月5日、金沢で開かれる北陸大学の入学式に教員の一人として参列します。


2011年3月30日 一条真也