夜空の星がきれいでした

一条真也です。

ブログ「よみうりFBS特別講座ご案内」で紹介した講座の開催が明日に迫りました。
だからというわけでもないですが、今朝は「読売新聞」をいつも以上に丹念に読みました。やはり、他紙よりもポジティブな記事が多い印象を受けました。
その中で、特に感動的だったのが最終面の「24時 言葉の力」という特集記事です。

                  
                  「読売新聞」3月30日朝刊


まず、柴田トヨさんが「被災地のあなたに」という詩を寄せていました。
ブログ「被災者の皆様に」で紹介したように、99歳の詩人である柴田さんは先日、「産経新聞」に詩を寄せられました。今回は、「読売新聞」に「被災地のあなたに」を寄せられたわけです。以下に紹介させていただきます。



「被災地のあなたに」
                            柴田トヨ

最愛の人を失い
大切なものを流され
あなたの悲しみは
計り知れません


でも 生きていれば
きっと いい事はあります


お願いです
あなたの心だけは
流されないで


不幸の津波には負けないで



わたしは、この詩を読んで考えさせられました。
特に、「不幸の津波には負けないで」という最後の1行に考えさせられました。
ブログ「桑田佳祐の祈り」で、桑田さんの名曲「TSUNAMI」は祈りの歌であると書きましたが、まさにあの歌の本当のメッセージは「不幸の津波には負けないで」ということではないでしょうか。柴田トヨ桑田佳祐・・・・・わたしには、ある意味で日本を代表する2人の詩人の魂が響き合ったように思えてなりません。



その他、「24時 言葉の力」には、読売の記者が被災地で出会った人々の「心に残る一言」が以下のように紹介されています。
「大丈夫、80過ぎてもやり直すから」(青森県八戸市の無職・小野キヨさん)
「生まれ育った町で、道に迷うとは思わなかった」(宮城県石巻市の理容室経営・鈴木克博さん)
「全部なくなったけどよ、俺と母ちゃんは生きてる。生きてるがらよ」(宮城県女川町の元漁師・東海政人さん)
津波に流された町を、隊列を組んで消防車両で通ると、がれきの片付けをしている住民が手を止め、深くお辞儀したり、手を合わせてくれる。ワラにもすがるようなその姿に、本当に我々が何とかしなければいけないと強く思った」(大阪市消防局緊急消防援助隊委員の野尻哲朗さん)
「額入りの家族写真を胸に抱えたまま亡くなっている遺体もあり、無念さが伝わってきた。一刻も早く、家族の元に帰してあげたかった」(鳥取県警警視で検視官の上田恵樹さん)
「看護師になって、人の役に立ちたい。子どもは3人欲しい。この町で育てるよ」(岩手県立大槌高校2年の沢舘史衣さん)
それぞれの方々の言葉の背景には、さまざまなドラマがあるわけです。
それを想像しただけで、目頭が熱くなってきます。



そして、わたしの心に強く残ったのが「夜空の星がきれいでした」という言葉です。
20日、宮城県石巻市で80歳になる祖母の寿美さんと共に9日ぶりに救出された高校1年の阿部任さんの言葉です。16歳の任さんが救出された後、任さんが小学1年生の時から絵画の指導をしているアトリエ教室の先生がお見舞いに来たそうです。
その先生が「救助までの間、どう過ごしたの」と尋ねたところ、任さんが「夜空の星がきれいでした」と答えたので驚いたそうです。
「閉じこめられた家屋のすき間から見ていたのだろうか。窮地でも星を見る余裕を持っていたことが生存につながったのでは」と先生は語ったとか。
「夜空の星がきれいでした」とは、「希望を捨てませんでした」という意味でしょうか。
それとも、人間の生死を超越した無常観のような境地だったのでしょうか。
いずれにしても、素晴らしい言葉ではありませんか!
絵画の先生は、きっと非常に感動したことでしょう。
なぜなら、彼が少年に一番教えたかったことは絵を上手に描くテクニックなどではなく、「世界を美しく見る」という心ではなかったかと思うからです。
任さんは、極限の状況の中で究極の「美」を発見したのかもしれません。


わたしは、坂本九の「見上げてごらん夜の星を」を連想しました。
ブログ「『1Q84』BOOK3」で、この歌を紹介しました。小説の中に登場するからです。
もともと、定時制高校生を励ます目的で作られた歌だそうです。
先日、FNSで「上を向いて歩こう」というタイトルで、震災支援のための音楽番組が放映されました。この「上を向いて歩こう」も、もちろん坂本九の代表作です。
見上げてごらん夜の星を」や「上を向いて歩こう」といい、「明日があるさ」や「涙くんさよなら」や「幸せなら手をたたこう」といい、坂本九の歌には本当にポジティブなものが多いですね。きっと、大いなる使命を与えられた人だったのでしょう。
いま、彼の命を奪った日航機墜落事故御巣鷹山と同じく、いやそれ以上の悲惨な遺体の山が東北の各所に放置されています。
夜空の星を見上げて祈っておられる方も多いことでしょう。


2011年3月30日 一条真也