隣人愛の実践者

一条真也です。

今日は、素晴らしい方にお会いしました。
NPO法人・北九州ホームレス支援機構の理事長である奥田知志さんです。わが社は、同法人の趣旨に賛同させていただいています。また、これまでもブログ「ホームレス支援」ブログ『助けてと言えない』などで、わたしは同法人と奥田さんのことを紹介してきました。


奥田知志さん


奥田さんは、東八幡キリスト教会の現役の牧師さんです。滋賀県大津市の出身で、関西学院大学神学部大学院修士課程および西南学院大学神学部専攻科を卒業されました。学生時代に訪れた大阪市釜ヶ崎(現:あいりん地区)の日雇い労働者の現状を目の当たりにし、ボランティア活動に参加したことがきっかけで、牧師の道を歩み始めたそうです。現在、わが国のホームレス支援の第一人者として非常に有名な方です。作家の平野敬一郎さんと一緒に講演活動を行い、脳科学者の茂木健一郎さんが司会を務めるNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」にも出演されています。


わたしが奥田さんのことを初めて知ったのは、NHKで昨年放映された「無縁社会」をテーマにした討論番組でした。何人かのパネラーの中で、奥田さんが「どうすれば、無縁社会を乗り越えられるのか」について、最も的確な意見を述べている印象でした。また、わたしは直感的に「この人は本物だ」と思いました。日々、多くのホームレスの方々と接していく中で「人と人とのつながり」について体験を通して考え抜いている方だと感じました。


それは、日々、「死者の尊厳」や「愛する人を亡くした人の悲しみ」について、体験を通して考え続けているわたしにも通じることでした。わたしも「人と人とのつながり」を再生し、新しい「有縁社会」を築くために「隣人祭り」を行っています。ということで、それ以来、奥田さんに早くお会いしたかったのですが、お互いに多忙でもあり、今日やっと松柏園ホテルでお会いできました。


「絆プロジェクト北九州」の説明を受けました


名刺交換して自己紹介をすると、最初は東日本大震災の話題になりました奥田さんは先日まで、被災地に行かれていました。そこで、津波で家屋を流されたおばあちゃんが大分県の知らない人からの絵手紙を心の支えにして生きているという話を聞かれたそうです。奥田さんのお話を聞きながら、わたしは「人を支えられるのは人だけだ」と思いました。


その後、奥田さんが中心となって進めておられる「絆プロジェクト北九州」について説明を受けました。官邸ホームページにも取り上げられたプロジェクトですが、東日本大震災の被災者を北九州市に受け入れて総合的にサポートしようという計画です。北九州市へ避難してこられた方々が社会的に孤立することがないよう、被災者に対して、住宅確保や生活物資の提供から心のケアまで、自立・生活再建に向けた、公民が一体となっての「新しい仕組みづくり」です。民間の力を最大限に活用したこの仕組みは、これからの地域福祉を推進する力として期待されている、「新しい公共」による先進的な取り組みとなります。


北九州市や北九州商工会議所も、最大限の協力をするため、いち早く担当ラインを立ち上げました。それぞれの組織がしっかりと役割を果たし、被災者にとって北九州市が「第二のふるさと」ともなるよう、心のぬくもりが感じられる支援を一体となって行うというプロジェクトなのです。詳しくは、「絆プロジェクト北九州」をクリックして御覧下さい。わたしは、素晴らしいプロジェクトだと思いました。


大いに意見交換をしました


それにしても、プロジェクトを熱く語る奥田さんの真剣な眼差しには感銘を受けました。よく考えれば、東日本大震災では多くの方々が家を失うという「ホームレス」状態になったわけであり、まさにホームレス支援の第一人者である奥田さんの出番です。「ハウスレスとホームレスは違います」という奥田さんの言葉も印象に残りました。家をなした人はハウスレスだけれども、絆をなくした人はホームレスだというのです。


多くの人々が「絆」を取り戻し、「有縁社会」を再生するのが、わたしの願いです。わたしは、もともと、日本人の「孤独死」と「自殺」を減少させたいと考えてきました。それで、「世界一の高齢化都市」である北九州に全国の独居老人を集めて「高齢者福祉特区」にすべきであるという主張を展開し、そのモデルとしてサンレーグランドホテルをオープンさせ、「グランドカルチャー教室」や「むすびの会」をスタートさせました。
また、愛する人を亡くして心神喪失状態にある方々のために「グリーフケア・サポート」の取り組みを進めて、「月あかりの会」や「ムーンギャラリー」を実現してきました。


こうなれば、ホームレスや独居老人だけでなく、あらゆる社会的に困っておられる方々、何らかの悩みを抱えている方々に北九州に参集していただき、「とにかく北九州に行けば生きていける」というふうになればいいと思います。すなわち、北九州市を大いなる「社会福祉都市」あるいは「ケア・シティ」にするのです。そのための「福祉村」づくりに、わが社は今後取り組んでいくつもりです。


賀川豊彦を連想しました 


奥田さんと話していて、わたしは社会運動家で作家だった賀川豊彦を連想しました。賀川豊彦も牧師でしたが、貧しい者たちを救済するために神戸のスラム街に飛び込みました。賀川豊彦こそは偉大な「隣人愛の実践者」であったと思います。そして、奥田知志さんもまた現代における「隣人愛の実践者」であると思いました。ちなみに2人とも、拙著『隣人の時代』(三五館)に登場します。


ところで、賀川豊彦といえば、明治学院大学の出身です。
じつは、わたしの長女も今年から明治学院に入学しました。
長女はホームレス支援に深い関心を抱き、奥田さんたちが開かれた小倉の勝山公園での炊き出しにも参加したことがあります。そのことを話すと、奥田さんは大いに驚かれ、「じつは、わたしの息子も今年から明治学院に入学したんですよ」と言われました。


奥田さんとわたしは、1963年(昭和38年)生まれの同じ年齢です。それにしても、子どもが同じ年に同じ大学に入るとは! これも、不思議な縁としか言いようがりません。やっぱり、この世は有縁社会ですね。
敬愛する賀川豊彦はこの世におらず、実際に会うことはできません。今日は、この世で奥田さんに会えて本当に良かったです。同じ北九州に、奥田さんのような「隣人愛の実践者」がいることを知り、とても嬉しく、また心強く思いました。
これからも、互いに力を合わせて、世の多くの隣人のために尽力できればと思います。
奥田知志さん、今後とも、よろしくお願いいたします。


2011年4月15日 一条真也