孔子とその時代

一条真也です。

金沢に来ています。
昨日の誕生日の夜、自宅の書斎で『論語』を通読しました。
毎年、誕生日には『論語』を読むことにしており、通算48回目の通読となりました。


                     わが愛用の『論語


最初に読んだのは、わたしが40歳になる直前のことでした。
不惑の年を迎えるにあたり、何をすべきかといろいろ考えましたが、「不惑」なる言葉が『論語』に由来することから、『論語』を精読することにしたのです。
冠婚葬祭を業とする会社の社長になったばかりでもあり、根本思想としての「礼」を学び直したいという考えもありました。 学生時代以来久しぶりに接する『論語』でしたが、一読して目から鱗が落ちる思いがしました。当時の自分が抱えていた、さまざまな問題の答えがすべて書いてあるように思えました。
伊藤仁斎は「宇宙第一の書」と呼び、安岡正篤は「最も古くして且つ新しい本」と呼びましたが、本当に『論語』一冊あれば、他の書物は不要とさえ思いました。



そこで40になる誕生日までに『論語』を40回読むことに決めたのです。
それだけ読めば内容は完全に頭に入るので、以後は誕生日が来るごとに再読します。
つまり、わたしが70歳まで生きるなら70回、80歳まで生きるなら80回、『論語』を読んだことになります。何かの事情で無人島などに行かなくてはならないときには迷わず『論語』を持っていきますし、突然何者かに拉致された場合にも備えて、つねにバッグには『論語』の文庫本を入れておきます。これだけで安心!
こうすれば、もう何も怖くないし、何も惑わなくなりました。何のことはない、わたしは「不惑」の出典である『論語』を座右の書とすることで、「不惑」を実際に手に入れたのです。


                  200名以上が受講しました


そして、今日から北陸大学での「孔子研究」の授業がスタートしました。
中国人留学生を含む200名以上の学生を相手に1時間半、喋りまくりました。
また、留学生のために、なるべく漢字を使って黒板に大きく板書しました。
いつも、授業が終わると、スーツがチョークの粉だらけになります(笑)。
今日は、「孔子とその時代」と題して、その人物像と時代背景について話しました。
孔子は、紀元前551年に中国の山東省で生まれました。
ブッダとほぼ同時期で、ソクラテスよりは八十数年早い誕生でした。
孔子ブッダソクラテスにイエスを加えて、世界の「四大聖人」です。


               孔子が生きた時代背景を説明しました


孔子は学問に励み、政治の道を志しましたが、それなりのポストに就いたのは50歳を過ぎてからでした。試みた行政改革が失敗に終わって、「徳治主義」という自らの政治的理想を実現してくれる君主を求めて、諸国を流浪したのです。
春秋戦国時代の末期であった当時は、古代中国社会の変動期でした。
つねに「天」を意識して生きた孔子は、混乱した社会秩序を回復するために「礼」の必要性を痛感し、個人の社会的道徳としての「仁」が求められると考えました。
多くの弟子を教えた孔子は、74歳で没します。
死後、彼の言行録を弟子たちがまとめたものが『論語』です。


                  孔子は古代のドラッカーです


論語』には「君子」という言葉が多く登場します。
君子は小人に対して用いられ、初めは地位のある人を意味しましたが、後には有徳の人を指すようになってきました。孔子ももちろんその用法に従っていますが、重要なことは君子はいわゆる聖人とは異なるということであります。現実の社会に多く存在しうる立派な人格者であり、生まれつきのものではないのです。憲問篇に「君子は上達す」とあるように、努力すれば達しうる境地、それが君子なのです。
論語』において君子という場合には、願望の意が込められていることが多いのです。
君子に関する記述をつなぎあわせていくと、『論語』とは古代中国のマネジメント書でもあったことがわかります。20世紀のマネジメントの巨人であるピーター・ドラッカーが提唱した時間活用のタイム・マネジメントや、「知」を重視したナレッジ・マネジメントなどの原型を『論語』に見ることができます。逆に言えば、世界初の経営書とされる『経営者の条件』をはじめとして一連の著書でドラッカーが説き続けた「人間尊重」の経営者像とは、限りなく君子のイメージに重なってきます。
孔子は古代のドラッカーであり、ドラッカーは現代の孔子であると言えるかもしれません。理想の政治を説いた孔子、理想の経営を説いたドラッカー・・・ともに、社会における人間の幸福を追求したのです。


                 『論語』についても語りました


さて、儒教とか君子とかいうと、堅苦しくストイックな印象があるかもしれませんが、孔子は大いに人生を楽しんだ人だったと思います。『論語』には、「楽しからずや」とか「悦(よろこ)ばしからずや」といったポジティブな言葉が多く発見できます。
仏典や聖書には人間の苦しみや悲しみは出てきても、楽しみや喜びなど見当たりません。『論語』にポジティブな言葉が多いのは大いに評価すべき点でしょう。
音楽を愛し、酒を飲み、グルメでファッショナブルだった孔子。そして、2500年後の人間の心をつかんで離さないほど「人の道」を説き続けた孔子。『論語』に出てくる孔子は完全無欠な聖人としてではなく、血の通った生身の人間として描かれているのです。 
孔子が人類史上最大の「人間通」とされた秘密もそこにありました。
何よりも、孔子は人間らしい人間だったのです。
今日の講義では、以上のような話をしました。
みんな、私語もせずに90分間真剣に聴いてくれました。
次回は、「孔子の思想」についてです。


2011年5月11日 一条真也