骨折しました!

一条真也です。

小倉駅に着いて、すぐに整形外科に向かいました。
今日は土曜日なので、知っている病院が午後は休みです。
そこで、救急医療センターで紹介してもらった新しい病院に行きました。
しばらく待ってレントゲンを撮影しました。そして、先生から説明を受けました。
結論から言うと、骨折していました。右第5中足骨基部骨折です。
同時に靭帯も損傷していました。無理して長い石段を下りたのが良くなかったようです。
最低でも、全治1ヵ月だそうです。しばらく、東京をはじめ、出張は無理です。


                     骨折してしまいました


激しい痛みから予想はしていましたが、万に一つの「単なるネンザ」を願っていました。
15年ほど前にも右足首を骨折したことがありますので、それ以来の骨折となります。
骨折そのもののショックよりも、今後の予定が大幅に狂うことが痛いです。
スケジュールの変更による人様への迷惑を考えると、やはり気分が落ち込みます。
明日の鎌田東二先生との門司・和布刈神社の早朝参拝は行けなくなりました。
明日の午後に行われる小倉高校の同窓会総会も行けなくなりました。
23日の営業責任者会議の懇親会も参加できません。
24日に東京で開催される(社)全互協の理事会も行けなりました。
当日の会議は重要案件が多いので、なんとか弟に代理出席を頼まないと!
何より、26日からの東北の被災地入りが出来なくなってしまい、本当に残念です。
足が治り次第、東北には必ず行きたいと思います。
6月初旬のサンレーグループ関連企業の社員旅行も行けなくなりました。
6月末のアメリカ出張も、おそらく無理でしょう。
今回は、宇宙葬のためのロケットの打ち上げに立ち会う予定でした。



思わぬ骨折によって、わたしの未来が加速度的に変化していくのが実感できました。
まさに、こういうことを人生における「想定外」というのでしょう。でも、被災地の方々や福島第一原発の避難民の方々に比べれば、わたしの「想定外」など問題にもなりません。
また、わたしの長女は高校3年生だった昨年の8月という受験の渦中でやはり足を骨折しましたが、松葉杖をつきながら受験を頑張り抜きました。
わたしが骨折ごときで落ち込んでいたら、娘から笑われてしまいます。



そんなことなどを考えていたところ、わたしのケータイが鳴りました。
見ると、相手は「公衆電話」となっています。わたしは、ピンと来ました。
ケータイ全盛のこの時代に公衆電話を利用する人といえば、あの人しかいません。
そうです、「バク転神道ソングライター」こと鎌田東二先生です。電話に出てみると、やはり鎌田先生でした。博多駅の公衆電話からで、「これから小倉に向かいます」とのこと。
わたしが骨折したことをお知らせすると、先生は大いに驚かれました。
そして、「今日は小倉に寄らず、このまま京都に帰ります」と言って下さいました。
それから、失意のわたしを慰めて下さいました。先生も2度、ヒザの骨折を経験されたそうです。それを前向きなリハビリで乗り越えられてきたとのこと。



鎌田先生は、わたしに「しばらく休めというサインですよ。きっと、忙し過ぎたんですよ」とか、「動けないときは、執筆や読書に時間を使うといいですよ」とか、「被災地に行けなくても、自分なりの『世直し』ができるはずですよ」などと言って下さいました。
その思いやり溢れる言葉に、わたしの心は感謝の念でいっぱいになりました。
そうですね、何事も「陽にとらえる」ことが大切ですね。
クヨクヨしたって、折れた骨がくっつくわけじゃありませんから!
鎌田先生は、「絶対にあせらずに、じっくり治して下さいよ」とも言って下さいました。
わたしは、公衆電話から伝わってくる鎌田先生の心ある言葉に感激しました。
鎌田先生、今夜はお会いできなくて残念でした。本当に、申し訳ありませんでした。
そして、ありがとうございました。しばらくは、先生のアドバイス通りに執筆と読書、それから新規事業の計画、会社の内部固めなどに努めたいと思います。
そして、自分なりの「世直し」の道を進んでいければと願っています。



病院で松葉杖を借りて、歩いてみました。
すると、看護婦さんたちが「あら、お上手ですね!」と驚いていました。
それもそのはず、わたしは15年前にも松葉杖をついていたのですから。
しばらくは、与えられた試練を陽にとらえて、松葉杖ライフを楽しみます。
なにくそ、負けてたまるか! 骨は折れたけど、心は折れちゃいないぜ! 


                      負けてたまるか! 


2011年5月21日 一条真也