寿齢隣人祭り

一条真也です。

孫田良平先生から丁重なお手紙を頂戴しました。
ブログ「恩師からの手紙」で紹介した、わたしの大学時代のゼミの先生です。
封筒の中には、先生が寄稿された新聞のコピーが同封されていました。
先生は92歳のご高齢ながら、現役の評論家として活躍されておられるのです。


                  「山形新聞」7月26日朝刊


お手紙では、わたしからの暑中見舞いに対するお礼の言葉の後、「ヒトの何倍も働いておられること大慶に存じます」と書かれていました。
いきなり恩師からの有難い言葉に触れ、恐縮しました。
それから、「『隣人の時代』に触発され、六月末の国勢調査発表(65歳以上の4人に1人が一人住まい)を織り込んで寿齢隣人祭り構想にまとめました」と書かれています。
「寿齢隣人祭り」とは、初めて接する言葉です。
辞典にはない言葉ですが、古稀・米寿・傘寿など祝い歳の総称のようです。
この「寿齢隣人祭り」について、先生は「山形新聞」紙上で画期的な提案をされました。



先生は、同紙に「直言」という連載をお持ちです。
今回のタイトルは、「長生き 意味ある寿に」というものでした。
その中で、国勢調査発表を受けて、「高齢になれば孤独になるのは当然とみられがちだが、看取る人なく放置される人が増えることには、強い対策がいる。長生きは不幸だと思わせては、少子高齢化の日本に未来はない」と書かれています。
わたしも「人は老いるほど豊かになる」を唱え続け、『老福論』(成甲書房)という本も書きましたので、まったく同感です。



孫田先生は、次のように述べられています。
「高齢者になって初めて気づくことが多い。大きいのは孤独感、職も地位も無くなるから世間との接触がない。近所付き合いの友・学友・戦友・遊び友達も減る。夫婦でもいずれ孤独になる。生涯独身で過ごす人が増えたと、兄弟姉妹が減って親への扶養力が弱まったことなど、多くの理由で親子の同居もできなくなった。卓上電話世代とパソコン・ケータイ世代では使う言葉も違って互いに話が通じない。過疎でバスの便も減って、外出が大仕事、受診も面倒、道で子供に話し掛ければ『知らない人とは話すな』の親の言いつけで子供も去る。寂しい世の中になった」
わたしは、この少ない字数で、現代日本社会の問題点をギュッと凝縮して詰め込まれた先生の筆力に感嘆しました。



孫田先生は、以下のように「敬老の日」から「隣人祭り」へと話題を移していかれます。
「周知のように日本は世界一の超高齢者国である。4人に1人が高齢者で、英米独いずれも5〜8人に1人だから、高齢者への孤独対策を示す責任がある。ところが国民の祭日に『敬老の日』はあっても形だけだ。むしろ欧州で『隣人祭り』の名で、集まって誰とも話し、人の縁を広げる運動となっていることを『隣人祭り日本支部』のHPと畏友による新著(一条真也著『隣人の時代』三五館刊)が教えてくれた」
1人の教え子にすぎない小生を「畏友」と先生が書いた下さったことには非常に驚くとともに、ひたすら恐縮するばかりです。



さて、孫田先生は「隣人祭り」について、各人が楽しみにして、喜んで参加する「祭り」の雰囲気づくりが必要として、各人が片手におむすびや缶ビールを持って気軽に集まれる自由スタイルを訴えておられます。
隣人祭りの目的は、顔見知りを増やすのが目的ですが、高齢者のひきこもり防止、その結果の孤独死を減らす行政施策の一環にもなります。
そして孫田先生は、「隣人祭りの主唱者は下からの盛り上がりで町内会・農協・商工会・同窓会連合・氏神講など自由に勝手に、日取りは差し当たっては国民の祭日である9月第3月曜日『敬老の日』」という内容の提唱をされています。
ただし法律では、「敬老の日」を「老人を敬い長寿を祝う日」と古風に定義しており、高齢者自らの主体性・自立性・自尊心を励ます意味が入っていません。
同じ日本国の祝日であっても、「子供の人格を重んじ、幸福をはかる」子供の日、「成人になった青年男女を祝い励ます」成人の日に比べると、高齢者は受身の扱いにすぎません。孫田先生は、主客を逆にした法改正が望ましいとされています。
ブログ「日本にも『祖母の日』を!」に書いたように、たしかに日本の「敬老に日」はああまり意味がない祝日だと思います。
敬老の日」の改革については、わたしもいろいろと考えているところです。



さらに、孫田先生は次のように「寿齢隣人祭り」のアイデアを膨らませておられます。
隣人祭りの主賓は、その年の古稀・傘寿・米寿など祝賀を受ける人、列席者は他の高齢者、参加者は演壇に上がる幼稚園児・育児園児・小学生とその付き添い、加えて一般者である。祭りの要素にはご当地ソング、踊りは欠かせない。新しい隣人関係をどうつくりだすか、思い切って楽しむ発想がほしい」
このアイデアの一部は、わが社の隣人祭りですでに実行しているものもありますが、この孫田先生のプランが全国に普及してくれることを願わずにはいられません。



最後に、孫田先生は次のように論をまとめておられます。
「寿齢隣人祭りの企ては、特に高齢者・壮年層に新しい『人の縁』をつくり出して、孤独死放置の悲劇を減らすことである。東日本大震災は職も地位も財産も一瞬に失わせても、そのはかなさを救うのは『人間お互い新規の縁結び』と教えてくれた。長生きを、意味ある寿と見直す機会にしたい」
わたしは、この一文を読んで、本当に感動しました。
今のわたしの思想や行動の中には、恩師の教えが影響しているかもしれません。
わたしは、孫田先生の教え子であることを心から誇りに思います。



お手紙の中の次のくだりにも感動しました。
「(新聞の)文中に書いたように、自分が歳とらぬと判らなかったことが出てきます。学友の死はその人だけ去るのではなく、共通の思い出である生活記録――入学・卒業・授業・旅行・共通の思い出を一挙に向うの闇に引きとられる感がします。(中略)歳とともにそのショックが大きくなります。孤独死は生者、死者双方にとって残酷な別れです」
そして、お手紙の最後は「北九州市隣人祭りのモデルとなるよう期待しております。お元気に」



じつは、わたしは今日からアメリカに行くはずでした。
互助会業界の海外視察に参加するはずだったのですが、足の骨折が全治はすれども完治せずという状況であり、杖をついてゆっくり歩いていては同行のみなさんの足でまといになると思い、断腸の思いでキャンセルしたのです。
アメリカにおける最新の冠婚葬祭施設の視察をとても楽しみにしていましたので自分でも落胆しましたが、恩師からのお手紙と新聞の論考を読み、元気が湧いてきました。
それにしても、卒業してから四半世紀も経つのに、今でも不肖の教え子を気にかけて下さる孫田先生には感謝の気持ちでいっぱいです。
孫田良平先生、本当にありがとうございました。先生の貴重なアドバイスを活かして、ぜひ北九州市隣人祭りのモデル都市にするために頑張ります。
まだまだ暑い日が続きますが、先生もどうか御自愛下さい。お元気で!


2011年7月31日 一条真也