小学校の卒業式

一条真也です。

今日は、次女の通う小学校の卒業式でした。
私立のカトリックの小学校なのですが、3クラスで120名の生徒が卒業しました。
その保護者を代表して、なんと、わたしが謝辞を述べました。


小学校の卒業式で謝辞を述べました



10時から卒業式が始まり、開会宣言、「君が代」斉唱、卒業証書授与、「学校長のことば」、在校生からの「お祝いのことば」、卒業生による「卒業のことば」が続きます。
そして11時頃、ついに「保護者代表のことば」の時間がやってきました。
わたしは、まず自分の席から立ち上がって、保護者席に向かって一礼し、舞台の下まで歩いて行きました。そして、上着の内ポケットから「謝辞」の書状を取り出しました。
じつは、わたしは多くのセレモニーやイベントで挨拶をしてきましたが、じつは書状を読み上げるという行為は初体験でした。会社の式典や竣工式などで、向き合った相手が「決意表明」などの書状を読む場面は数え切れないほど経験しています。
しかし、巻物のような書状を自ら広げて読むというのは初めてだったのです。
これがなかなか難しく、スタンドマイクが邪魔になって、うまく読めません。
それで、スタンドマイク越しに思いっきり両手を突き出すという無理な姿勢で読んでいたら、手がプルプル震えてきました。最前列にいた生徒さんたちは、「このオジサン、むちゃくちゃ緊張しとるな」と思ったかもしれませんね(苦笑)。


わたしが読み上げた「謝辞」と「目録」



手が震えないように「謝辞」の書状を途中で持ち替えながら、わたしは述べました。
「誠に僭越ではございますが、卒業生の保護者を代表いたしまして、お礼の言葉を述べさせて頂きます。本日は私どもの子供たちのために、厳粛な中にも温かく、優しさに満ちた卒業式を執り行っていただき、誠に有難うございました。
校長先生をはじめ、担任の先生、諸先生方、子供達を見守って下さったすべての皆様に、保護者一同心より御礼申し上げます。
こうして、卒業証書を手にした子供たちの誇らしげな顔は、この6年間が、彼らにとって本当に充実したかけがえのない時間であったことを、強く感じさせてくれます。
6年前、入学式で小さく幼かった子供たちの姿が、つい昨日の事の様に思い出され、感慨深く、胸が一杯でございます」



それから、わたしは、どうしても今日触れたかったことに言及しました。
「昨年は、東日本大震災で多くの方々が被災されました。
卒業式を迎えたくても、無念にもそれがかなわなかったお子様もいらっしゃいます。
『人々のために生きる人』として、人の為に役立つことの大事さを、痛感した一年でもありました。そんな中、私どもの子供たちは、心に愛を持ち、具体的な行動によって、様々な形で人の為に役立つ喜びを教えていただきました。
このような素晴らしいお導きに、深く感謝申し上げます」



そして、卒業生の方向を向いて言いました。
「卒業生の皆さん、卒業おめでとうございます。
周りの人々の愛に支えられて、今日の卒業の喜びがあることを、決して忘れないで下さい。そして、大きな夢と希望を胸に、羽ばたいて下さい。たとえ、皆さんに数々の試練が訪れても、この小学校で培った精神力で、必ず克服できると信じて頑張って下さい!」
二十四の瞳」ならぬ「二百四十の瞳」が、こちらをじっと見ていました。



それから、先生方の方向を向いて言いました。
「先生方、おかげさまで、子供たちはこんなにも成長させていただきましたが、まだまだ未熟でございます。それぞれの希望を胸に、今日、巣立って参りますが、どうかこれからも温かく見守って下さいますよう、お願い申し上げます」
そして、小学校の益々のご発展と先生方のご健勝を祈念申し上げて、お礼の言葉とさせていただきました。最後は「6年間、誠にありがとうございました」と述べました。
続いて、卒業記念品を記した目録を読み上げ、壇上で校長先生にお渡ししました。



このような学校行事の場で謝辞を述べたことなど、もちろん初めてです。
わたしは、これまで味わったことのない高揚感に包まれました。
謝辞を述べながら、次女が体調不良だったにもかかわらず小学校の面接試験で頑張ったこと、小学校へ行く初日に泣いてバスになかなか乗らなかったこと、初めての給食で出されたカレーライスが完食できずに泣いてしまったこと・・・・・いろいろな場面が走馬灯のように、わたしの心に次々と浮かんできました。
泣き虫だった次女も、ずいぶん精神的にも体力的にも強くなりました。
そして、4月からは中学生になります。
本当に、子どもの成長は早いものです。
わたしは、いつも年中バタバタ忙しくしています。
そのため、次女の学校行事に行けないことも何度かありました。でも、最後に卒業式で保護者代表の謝辞を述べさせていただいて、良い思い出になりました。


卒業生たちが「仰げば尊し」を合唱したとき、会場の感動は最高潮に達しました。
仰げば尊し」は、明治17年(1884年)に作られた文部省唱歌です。
その歌詞は、以下のようになっています。



1.仰げば 尊し 我が師の恩
  教(おしえ)の庭にも はや幾年(いくとせ)
  思えば いと疾(と)し この年月(としつき)
  今こそ 別れめ いざさらば
2.互(たがい)に睦し 日ごろの恩
  別るる後(のち)にも やよ 忘るな
  身を立て 名をあげ やよ 励めよ
  今こそ 別れめ いざさらば
3.朝夕 馴(なれ)にし 学びの窓
  蛍の灯火 積む白雪
  忘るる 間(ま)ぞなき ゆく年月
  今こそ 別れめ いざさらば



かつて日本映画『二十四の瞳』でこの歌が流れたとき、わたしは感動で涙しました。
その場面は、YouTubeでも御覧になれます。こちらをクリックして下さい
今日の卒業式で流れた「仰げば尊し」で「我が師の恩♪」というフレーズが流れたとき、わたし自身の小学校のときの先生のことを思い出しました。そう、わたしの先生は小学1・2年生が山崎先生、3・4年生が溝上先生、5・6年生が白石先生という方でした。
大変なイタズラ小僧で先生方にはいつも御迷惑ばかりかけていましたが、あの頃のワルガキが成人して自分の子どもの卒業式に参列して、しかも保護者を代表して謝辞を述べたと知ったら、みなさん、どんな顔をされるでしょうか。
あの先生方は、まだお元気なのか。それは存じません。しかし、突如として思い出された「我が師の恩」への感謝で、わたしの胸は一杯になりました。



卒業式というものは、本当に深い感動を与えてくれます。
それは、人間の「たましい」に関わっている営みだからだと思います。
わたしは、この世のあらゆるセレモニーとはすべて卒業式ではないかと思っています。
七五三は乳児や幼児からの卒業式であり、成人式は子どもからの卒業式。
そう、通過儀礼の「通過」とは「卒業」のことなのです。
そして結婚式も、やはり卒業式だと思います。
なぜ、昔から新婦の父親は結婚式で涙を流すのか。それは、結婚式とは卒業式であり、校長である父が家庭という学校から卒業してゆく娘を愛しく思うからです。
そして、葬儀こそは「人生の卒業式」です。最期のセレモニーを卒業式ととらえる考え方が広まり、いつか「死」が不幸でなくなる日が来ることを心から願っています。
葬儀の場面で、「今こそ別れめ いざ さらば」と堂々と言えたら素敵ですね。


卒業式の後、教室に集まって、担任の先生の御挨拶をお聞きしました。
その後で、わたしが先生と次女の記念撮影をしていたら、校内放送でコブクロ「桜」が流れてきました。初めてじっくりと聴きましたが、しんみりとしてしまいました。



今日の次女の小学校の卒業式は生涯忘れられない思い出になりました。
多くの保護者の方々が、「良い謝辞でした」とか「感動しました」と言って下さいました。
皆様から温かい言葉をかけていただくたび、感激いたしました。
わたし自身が、今日、何かから卒業したような気がしてなりません。
学校関係者の皆様、保護者の皆様に心より御礼を申し上げます。


2012年3月16日 一条真也