グリーフケア講座

一条真也です。

今夜、「よみうりFBS文化センター」の特別講座を行いました。
同センターは読売新聞とFBS福岡放送の文化事業です。
わたしの講座名は、「一条真也の平成心塾〜ハートフル社会を生きる、創る」です。


「平成心塾」の講座を開きました


ブログ「人間関係が良くなる講座」に書いたように、第1回目のテーマは「人間関係を良くする魔法」でした。また、ブログ「ファンタジー講座」に書いたように、第2回目は、「『幸福』と『死』を考える〜大人のための童話の読み方」がテーマでした。
おかげさまで、多くの方々にご参集いただきました。
そして、第3回目となる今回は、「グリーフケア〜のこされたあなたへ」がテーマです。
そうです、『のこされた あなたへ』(佼成出版社)の内容に基づいた講座です。


3・11 その悲しみを乗り越えるために


わたしは、昨年末に同書を書きました。 サブタイトルは「3・11 その悲しみを乗り越えるために」です。そう、東日本大震災愛する人を亡くした方に向けて書いた本です。
同書の帯には、「死別はとてもつらく悲しい。けれど、決して不幸な『出来事』ではありません。」と大きく書かれています。また、「グリーフケアの入門書にして決定版」というコピーが赤く囲まれています。そして、「大切な人を突然失ったとき、どうやって立ち直ればよいのか。」とも書かれています。
わたしにとっては、『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)に次ぐグリーフケアの著書となりました。わたしの持てるすべてを駆使して書き上げました。



釈尊」ことブッダは、「生老病死」を4つの苦悩としました。
わたしは、人間にとっての最大の苦悩は、愛する人を亡くすことだと思っています。
老病死の苦悩は、結局は自分自身の問題でしょう。
でも、愛する者を失うことはそれらに勝る大きな苦しみではないでしょうか。
配偶者を亡くした人は、立ち直るのに3年はかかると言われています。
幼い子どもを亡くした人は10年かかるとされています。
こんな苦しみが、この世に他にあるでしょうか。
一般に「生老病死」のうち、「生」はもはや苦悩ではないと思われています。
しかし、ブッダが本当に「生」の苦悩としたかったのは、誕生という「生まれること」ではなくて、愛する人を亡くして「生き残ること」ではなかったかと、わたしは思うのです。
それでは、ブッダが苦悩と認定したものを、おまえごときが癒せるはずなどないではないかという声が聞こえてきそうです。たしかに、そうかもしれません。
でも、日々、涙を流して悲しむ方々を見るうちに、「なんとか、この方たちの心を少しでも軽くすることはできないか」と思いました。
アメリカのグリーフ・カウンセラーのE・A・グロルマンは、次のように述べています。
 

   親を亡くした人は、過去を失う。
   配偶者を亡くした人は、現在を失う。
   子を亡くした人は、未来を失う。
   恋人・友人・知人を亡くした人は、自分の一部を失う。
 

それぞれ大切なものを失い、悲しみの極限で苦しむ方の心が少しでも軽くなるようお手伝いをすることが、わが社の使命ではないかと思うようになったのです。
そして、わたしは『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)を書きました。さらに2010年6月21日、愛する人を亡くした人たちの会「月あかりの会」を発足させました。


グリーフケアの時代



のこされた あなたへ』では、「葬儀ができなかったあなたへ」「遺体が見つからないあなたへ」「お墓がないあなたへ」「遺品がないあなたへ」「それでも気持ちのやり場がないあなたへ」と、具体的な「あなた」へのメッセージを綴り、最後に「別れの言葉は再会の約束」という文章を書きました。
葬儀ができない、遺体がない、墓がない、遺品がない、そして、気持のやり場がない・・・・・まさに「ない、ない」尽くしの状況は、今回の災害のダメージがいかに甚大であり、辛うじて助かった被災者の方々の心にも大きなダメージが残されたことを示していました。現地では毎日、「人間の尊厳」というものが問われました。亡くなられた犠牲者の尊厳と、生き残った被災者の尊厳がともに問われ続けていたのです。


被災地を訪れた写真もお見せしました

儒教の「孝」の意味を説明しました

日本的グリーフケアについても話しました



この国に残る記録の上では、これまでマグニチュード9を超す地震は存在していませんでした。地震津波にそなえて作られていたさまざまな設備施設のための想定をはるかに上回り、日本に未曾有の損害をもたらしました。じつに、日本列島そのものが歪んで2メートル半も東に押しやられたそうです。それほど巨大な力が、いったい何のためにふるわれ、多くの人命を奪い、町を壊滅させたのでしょうか。
あの地震津波原発事故にはどのような意味があったのでしょうか。
そして、愛する人を亡くし、生き残った人は、これからどう生きるべきなのか。
そんなことを考えながら、残された方々へのメッセージを書き綴ってみました。
もちろん、どのような言葉をおかけしたとしても、亡くなった方が生き返ることはありませんし、その悲しみが完全に癒えることもありません。
しかし、少しでもその悲しみが軽くなるお手伝いができないかと、わたしは一生懸命に心を込めて『のこされた あなたへ』を書きました。時には、涙を流しながら書きました。
そこで、儒教における「人は死なない」という「孝」の思想や、一連の法事・法要に代表される「日本的グリーフケア」のシステムについてもお話ししました。


誰にでも簡単にできる供養の方法

グリーフケアとしての怪談について



また、これまでのグリーフケア関連の講演と違って、「誰にでも簡単にできる供養の方法」とか「グリーフケアとしての怪談」といった新しいテーマについても話しました。
グリーフケアとしての怪談」は、次回作のテーマでもあります。
涙は世界で一番小さな海』(三五館)で「ファンタジー」については書きました。
そして、今度は「ホラー」について書いてみたいのです。
「ホラー」や「怪談」とは、つまるところ、死者が登場する物語です。
そして、その本質は「慰霊」と「鎮魂」の物語ではないかと考えています。
また、それは愛する人を亡くした人のための「癒し」の物語でもあります。
その名も『グリーフケアとしての怪談』(仮題)の構想を練っているところです。


「また会えるから」の法則について



最後は、とても大切なことをみなさんにお伝えしました。
それは、のこされた人は、今は亡き愛する人に必ずまた会えるということです。
死別はたしかに辛く悲しい体験ですが、その別れは永遠のものではありません。
愛する人を亡くした人は、また愛する人に会えるのです。
風や光や雨や雪や星として会える。
夢で会える。
あの世で会える。
生まれ変わって会える。
そして、月で会える。
世の中には、いろんな信仰があり、いろんな物語があります。
しかし、いずれにしても、必ず再会できるのです。
ですから、死別というのは時間差で旅行に出かけるようなものなのです。
先に行く人は「では、お先に」と言い、後から行く人は「後から行くから、待っててね」と声をかけるのです。それだけのことなのです。


今日は、心を込めてお話ししました



考えてみれば、世界中の言語における別れの挨拶に「また会いましょう」という再会の約束が込められています。日本語の「じゃあね」、中国語の「再見」もそうです。
そして、英語の「See you again」もそうです。
フランス語やドイツ語やその他の国の言葉でも同様です。
これは、どういうことでしょうか。古今東西の人間たちは、つらく、さびしい別れに直面するにあたって、再会の希望をもつことでそれに耐えてきたのかもしれません。でも、こういう見方もできないでしょうか。二度と会えないという本当の別れなど存在せず、必ずまた再会できるという真理を人類は無意識のうちに知っていたのだと。
その無意識が世界中の別れの挨拶に再会の約束を重ねさせたのだと。
そう、別れても、わたしたちは必ず再会できるのです。 「また会えるから」この言葉を合言葉に、愛する人との再会の日を楽しみに、生きていきませんか。
愛する人を亡くしたあなたは、愛する人との再会を希望として、生き延びて下さい。そして、さまざまな信仰や物語を超えて、いずれにしても、必ず再会できるという真実を絶対に忘れないで下さい。 これからも、世界では多くの地震津波や台風で、そしてテロや戦争で、多くの人命が失われることでしょう。また、天災や人災でなくとも、病気や事故などで多くの方々がこの世を卒業されていくでしょう。


のこされた あなたへ』のイメージビデオを上映しました。

イメージビデオに見入る参加者のみなさん



愛する人と死に別れることは人間にとって最大の試練です。
しかし、試練の先には再会というご褒美が待っています。
けっして、絶望することはありません。
けっして、あせる必要もありません。
最後には、また会えるのですから。
どうしても寂しくて、悲しくて、辛いときは、どうか夜空の月を見上げて下さい。
そこには、あなたの愛する人の面影が浮かんでいるはずです。
愛する人は、あなたとの再会を楽しみに、気長に待ってくれることでしょう。
今夜は、そんなことをお話してみました。
最後は、『のこされた あなたへ』のイメージビデオを上映しました。


また、わたしが作詞した「また会えるから」の動画も流しました。
参加者の中にハンカチを目に当てている方がいたのが印象的でした。
今夜は、わが社の1級葬祭ディレクターや上級心理カウンセラーのみなさんもオブザーバーとして参加してくれました。これからも、心ある同志たちと一緒に、愛する人を亡くした人たちの悲しみを少しでも軽くするお手伝いがしたいです。


2012年4月13日 一条真也