「タイタニック3D」

一条真也です。

2012年4月15日になりました。かのタイタニック号が沈没してから、ちょうど100周年です。北朝鮮では故・金日成主席の生誕100年を祝う大規模な行事が予定されているようですが、そんなことよりもタイタニック沈没100周年のほうが遥かに重要です。そこで、映画「タイタニック3D」を観ました。チャチャタウン「シネプレックス小倉」のレイトショーで、20時20分からの開始でした。先程、23時45分に終わったばかりです。


オリジナルは、言うに及ばず、ジェームズ・キャメロン監督・脚本の1997年のアメリカ映画です。実際のタイタニック号沈没事故をめぐって、上流階級の娘ローズと貧しい画家志望の青年ジャック・ドーソンの悲恋を描いています。
ローズはケイト・ウィンスレット、ジャックはレオナルド・ディカプリオが演じています。
ストーリーは、タイタニック号沈没の史実を交えて展開します。
前半はラブストーリー大作、後半はパニック大作といった趣ですが、194分という長時間をまったく飽きさせない脚本はさすがですね。何度観ても、やはり抜群に面白い。
久々に観直してみて、改めて「完璧な脚本だな」と感じました。
以前はあまり気にとめなかった「碧洋のハート」と呼ばれる幻のダイヤが、ストーリー全体における見事なスパイスとなっています。また、ローズとジャックの逃避行を利用して、船内をくまなく案内するなど、何度も「うーん、うまいなあ」と唸りました。


1998年のアカデミー賞は、「タイタニック」一色となりました。
作品賞をはじめ、監督賞、撮影賞、主題歌賞、音楽賞、衣裳デザイン賞、視覚効果賞、音響効果賞、音響賞、編集賞の11部門で受賞したのです。セリーヌ・ディオンが歌った主題歌「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」も大ヒットしましたね。
映画「タイタニック」は興行的にも大成功を収めました。全米で6億ドル、日本で興収記録262億円、全世界では18億3500万ドルを記録しました。これは映画史上最高の世界興行収入として『ギネスブック』にも登録されました。


タイタニック」の大記録を破った映画こそ、同じジェームズ・キャメロン監督の「アバター」でした。そう、「アバター」で3Dの新時代の幕を開けたとされるキャメロン監督が、自らの代表作に300人ものスタッフと最先端のデジタル・テクノロジーを投入した作品こそ、「タイタニック3D」なのです。キャメロン監督は、オリジナル映像の全フレームを改めてチェックし、クリーンにしたとか。そのような入念かつ壮大な作業の結果、タイタニック号の船内や甲板の奥行き感、沈没シーンの迫力と臨場感は格段にアップしました。
すでに1997年公開のオリジナル版を劇場やビデオ、DVDで観た人も、この圧倒的な3Dには満足するのではないでしょうか。




久々に、この壮大なメロドラマを3Dで観賞したわたしは、この作品のテーマはまさに「愛」と「死」に他ならないと思いました。小説にしろ演劇にしろ映画にしろ、大きな感動を提供する作品は、「愛」と「死」という2つのテーマを持っています。
古代のギリシャ悲劇からシェークスピアの『ロミオとジュリエット』、そして「タイタニック」まで、すべて「愛」と「死」をテーマにした作品であることに気づきます。
「愛」は人間にとって最も価値のあるものです。しかし、「愛」をただ「愛」として語り、描くだけではその本来の姿は決して見えてきません。
そこに登場するのが、人類最大のテーマである「死」です。「死」の存在があってはじめて、「愛」はその輪郭を明らかにし、強い輝きを放つのではないでしょうか。
「死」があってこそ、「愛」が光るのです。そこに感動が生まれるのです。



逆に、「愛」の存在があって、はじめて人間は自らの「死」を直視できるとも言えます。
ラ・ロシュフーコーという人が「太陽と死は直視できない」と有名な言葉を残しています。たしかに太陽も死もそのまま見つめることはできません。
しかし、サングラスをかければ太陽を見ることはできます。同じように「死」という直視できないものを見るためのサングラスこそ「愛」ではないでしょうか。
誰だって死ぬのは怖いし、自分の死をストレートに考えることは困難です。
しかし、愛する恋人、愛する妻や夫、愛するわが子、愛するわが孫の存在があったとしたらどうでしょうか。人は心から愛するものがあってはじめて、自らの死を乗り越え、永遠の時間の中で生きることができるのです。
いずれにせよ、「愛」も「死」も、それぞれそのままでは見つめることができず、お互いの存在があってこそ、初めて見つめることが可能になるのでしょう。



「死」といえば、沈没する豪華客船の船内を逃げ惑う乗客たちの姿を見ると、やはりどうしても、東日本大震災の犠牲者のことを連想してしまいます。
映画評論家の清水節氏も「映画.com」に次のように書いています。
「船内を鉄砲水が襲い、科学の粋を極めた巨大な文明の象徴がコントロール不能に陥って遂には屹立(きつりつ)し、人々を真っ逆さまに振り落としていく。阿鼻叫喚の地獄絵は、もはや2人の愛を引き裂く単なる背景には思えない。安全神話を信じ切って、浮かれた者たちの欲望の終焉。100年前のカタストロフとその教訓を、3・11後のわれわれはようやく今、真に理解することになるのだろう」
たしかに、「不沈船」とまで呼ばれたタイタニックが沈むさまを見て、わたしは福島第一原発の事故を連想しました。また、北朝鮮のミサイル打ち上げ失敗も、科学技術信仰の時代の大きな曲がり角を感じさせます。
あと、久々にこの映画を観直して、水死者をリアルに描いていることに感心しました。
凍える大西洋の海に、まるで吸血鬼のような蒼白い表情で浮かぶ多くの水死者たち。
そこには、赤ちゃんを抱いた若い母親の姿もあり、観客の涙を誘います。
そして、夥しい数の水死者たちが海上に漂う様子は、やはり東日本大震災津波で亡くなった犠牲者の方々を思わずにはいられません。
タイタニック3D」を観た多くの日本人の心の中で、100年前の大西洋と昨年の三陸の海がつながったのではないでしょうか。



もっとも、久々にこの映画を観なおしてみて、気になった部分もありました。
タイタニックが沈む寸前の船尾でローズは、1人で震える女性を見つけます。
女性がぶら下がっている時に手を差しのべることもなく、ジャックに向かって「あなたと初めて会った場所よ」と言うのですが、これはあまりにも自己中心的ではないでしょうか。その直後に女性は落下して絶命するのですから・・・・・。
また、大西洋に漂う板切れに乗ったローズが、冷たい海に浸かっているジャックと交替しようとしなかったのみならず、「寒いわ」と言い放つ場面も如何なものか?
そう、ローズの自己チューな面が今回の観賞では気になって仕方がありませんでした。
婚約者の許から一方的に逃げ出すのだって、本当は「人の道」に反します。わたしは「卒業」という映画でダスティン・ホフマン演じる青年が元恋人であった花嫁を略奪するシーンが嫌いなのですが、あれに通じるインモラルでエゴ丸出しの印象を受けました。



さて、大のタイタニック・マニアであるわたしは、本当は今月8日にイギリス・サウサンプトンから出航した追悼クルーズに参加したくて仕方がありませんでした。
客船にタイタニック号の乗客と同じ1309人を乗せ、当時と同じ航路をたどるクルーズで、船内の音楽や食事なども、当時の雰囲気が再現されるそうです。
さらに、沈没した時間には、同じ海域で式典が行われます。
乗客は、主に犠牲者の遺族や子孫が中心だそうです。
時間的、経済的、そして立場的な制約から、わたしのクルーズ参加はかないませんでしたが、せめて4月14日から15日に日付が変わる直前に、「シネプレックス小倉」のレイトショーを観ることができて良かったです。



今夜、「タイタニック3D」を観ながら、わたしは1人で100年前の海難事故の疑似体験をしました。そして、観賞後は、心の中で1513人の犠牲者の冥福を祈りました。
タイタニック号の生き残りである老女ローズの回想談は、多くの死者たちの無念さを思い起こさせ、観る者の涙を誘います。しかし、考えてみれば、タイタニック沈没の2年後に勃発した第一次世界大戦だって、第二次世界大戦だって、9・11米国同時多発テロだって、3・11東日本大震災だって、ありとあらゆる戦争やテロや人災や天災において、これまでに無数の人々が無念のうちに死んでいったのです。
わたしたちは、けっして死者たちのことを忘れてはならないと思います。
最後に、ローズが「碧洋のハート」を海に投げ入れた行為を「死者を絶対に忘れない」というメッセージだと受け取ったのは、わたしだけでしょうか。


2012年4月15日 一条真也


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