グリーフケアとしての怪談

一条真也です。

月次祭に続いて、平成心学塾を開講しました。
今日も色々な話題に言及しましたが、「怪談」について話しました。
ブログ「グリーフケア講座」で紹介した講演でも話した内容です。


平成心学塾を開講しました



最近、東北の被災地において幽霊の噂が激増しているそうです。
瓦礫の下から「助けてくれ」という声がしたので掘り起こしてみたら誰もいなかった。
津波で多くの犠牲者を出した場所で、タクシーの運転手が幽霊を乗車させた。
深夜、三陸の海の上を無数の人影が歩いていた。
以上のような噂が、ここ数ヶ月で増えているというのです。


今日は、「怪談」について語りました



わたしは、被災地で霊的な現象が頻発しているというよりも、人間とは「幽霊を見るヒト」なのではないかと考えました。「弔うヒト」であると同時に「幽霊を見るヒト」である。
残された者に故人への思慕や無念が「幽霊」を作りだしているのではないかと。
そして、幽霊話というのも一種のグリーフケアではないかと思いました。
夢枕・心霊写真・降霊会といったものも、本質的にはグリーフケアにつながるのではないでしょうか。それらは、いずれも「死者の存在を確認したい」「死者と交流したい」という生者の切実な願望の表れだからです。


さらには、「怪談」というものはグリーフケアとしての文化装置ではないかと思います。
興味深いことに、日本では100年おきに怪談ブームが起きています。
『なぜ怪談は百年ごとに流行るのか』東雅夫著(ソフトバンク新書)に詳しいです。          
100年前のハレー彗星襲来時にも、多くの怪談が書かれました。
また、泉鏡花などを中心として百物語の会も頻繁に開催されました。
わたしは、秋成の『雨月物語』も、南北の『東海道四谷怪談』も、八雲の『怪談』も、すべて「慰霊」と「鎮魂」の文学であり、同時にグリーフケア文学でもなかったかと思います。
そして、それは当然ながら仏教説話というものに行き着きます。
その意味で、日本最古のグリーフケア文学は、『日本霊異記』かもしれません。



さらに興味深いのは、怪談ブームの後には地震や噴火といった天災、テロや事故などの人災を問わず、巨大なカタストロフが起こっていることです。
怪談ブームとは、不安を察する民衆の無意識の表れかもしれません。
わたしは今、「グリーフケアとしての怪談」「幽霊とは何か」という問題を真剣に考えはじめています。そして、それは今後の葬送儀礼や供養文化につながると確信しています。
今日は、そんな話をしたところ、みんな興味深そうに熱心にメモを取っていました。



グリーフケアとしての怪談」は、次回作のテーマでもあります。
涙は世界で一番小さな海』(三五館)で「ファンタジー」については書きました。
そして、今度は「ホラー」について書いてみたいのです。
「ホラー」や「怪談」とは、つまるところ、死者が登場する物語です。
そして、その本質は「慰霊」と「鎮魂」の物語ではないかと考えています。
また、それは愛する人を亡くした人のための「癒し」の物語でもあります。
その名も『グリーフケアとしての怪談』(仮題)の構想を練っているところです。


2012年4月18日 一条真也