父親とは何ぞや?

一条真也です。

ブログ「父の日だぜぇ。」にも書いたように、今日は「父の日」です。
わたしは2人の娘の父でもありますが、わたしにも父がいます。
後期高齢者になりましたが、「光輝高齢者」を自称して元気な父です。
今日は、父のために買ったシャツを持って、妻と次女と一緒に実家を訪れました。


父からプレゼントを貰いました



昨年は、わたしは足を骨折していてギプスをはめていました。
よって、わたしの父、妻の父へのプレゼントとメッセージは、妻が届けてくれました。
娘たちも、骨折の快癒を祈る内容をメッセージカードに書いてくれました。
昨年の骨折では、家族のありがたさを身に沁みて感じました。
さて、父にシャツをプレゼントすると、父からも「今日は、これをあげよう」といって、額に入ったものを貰いました。見ると、なんと、賀川豊彦の自筆画讃でした。


賀川豊彦の自筆画讃「真理とは何ぞや?」



賀川豊彦といえば、わたしが心から尊敬する人物です。
大正時代最大のベストセラー作家であり、キリスト教思想家であり、社会改革の運動家でもありました。彼の人生は、まさに「隣人愛」の実践の連続でした。
わたしは、『隣人の時代』(三五館)で賀川豊彦を大きく取り上げました。
これまでに、ブログ『死線を越えて』ブログ『一粒の麦』ブログ『賀川豊彦を知っていますか』ブログ『at』(特集・賀川豊彦)ブログ『賀川豊彦から見た現代』と、この偉大な人物について書いてきました。その賀川豊彦の直筆画讃には、「真理とは何ぞや?」と書かれていました。「真理とは何ぞや?」とは、父からわたしへの問いかけであり、魂のメッセージであり、哲学的プレゼントでもあると思いました。


そして、わたしは「父親」について考えました。
「父の日」とは何ぞや? それは、わたしを含めた世の父親たちが「父親とは何ぞや?」と考えるための日ではないでしょうか?
賀川豊彦にとっての父とは、キリスト教の神だったでしょう。
わたしは、「父よあなたは強かった」という軍歌が好きです。日本がここまでダメになったのは、父性というものが失われたことが大きな理由の1つでしょう。
本当に、「強い父親」が少なくなりました。
また、「強い父親」はダサくなってしまった。
優しいばかりで、友達みたいな「草食系」の父親ばかりになってしまいました。
でも、「強い父親」の復活なくして、日本の未来はありません。
よみがえれ、アイアン・ファーザー! ワイルドな親父がいいだろ〜?


2012年6月17日 一条真也