『すべては今日から』

一条真也です。

『すべては今日から』児玉清著(新潮社)を読みました。
2011年5月16日に逝去した俳優の児玉清さんの遺稿集です。
児玉さんは大の読書家として知られ、本への熱き想いを綴った著書『寝ても覚めても本の虫』(新潮文庫)はわが愛読書でした。


愛書家俳優の熱き遺稿集!



本書の表紙には穏やかな著者の肖像写真が使われています。
また、帯には次のように書かれています。
「もっと小説を読んで下さい。未来を築くために――」
「面白本を溺愛し、爽快に生きた“情熱紳士”が精魂込めて書き続けた日本人へのメッセージ!」「一周忌に贈る熱き遺稿集」
本書は、「本があるから生きてきた」「面白本、丸かじり」「忘れえぬ時、忘れえぬ人」「日本、そして日本人へ」という4つの章から構成されています。
また、巻末には息子さんである元タレントの北川大祐さんによる「父・児玉清と本――あとがきにかえて」が掲載されています。



本書には、基本的に児玉さんが読んで面白いと感じた本が紹介されています。
ミステリーが大好きで、英語の原書でも読んでいたほどの児玉さんだけに、紹介されている本はどれも魅力的に描かれています。
でも、やっぱりミステリーなので、ネタバレを避けるためにストーリーの核心部分には触れられておらず、その本当の面白さを知るには実際に読んでみるしかありません。
また本書には、児玉さんの本にまつわるさまざまな思い出が綴られていますが、中でも「本が産み出した家族の団欒」というエッセイが心に残りました。
著者が無理の本好きになったのは小学4年生のときで、教室で隣の席の男の子が「これ目茶面白いぞ!!」と言って、1冊の講談本を貸してくれたのがきっかけでした。
タイトルは『雷電為右衛門』。江戸時代に実在した最強の力士の物語です。
雷電の無敵とも言える強さと愛嬌溢れる人物像のもたらす面白痛快物語に夢中になってしまい、著者はいっぺんに本の虜にされてしまいました。
しかし、本当に嬉しかったのはその先で、著者は次のように書いています。
「それまでは、優しく温かい目で僕を見守ってくれていた父ではあったが、息子の僕との間には対話といったものがほとんどなかった。しかし、僕が読んでいる講談本を父が見た瞬間から、がらっと雰囲気が変ってしまった。実は父は無類の講談好きで、近所の寄席の高座などを聞きに行く常連客の1人だったのだ。
さぁ、それからは一気に父との会話が弾んだ」



雷電をきっかけに、千葉周作柳生十兵衛塚原卜伝などの剣豪物語を読み進むようになった著者は、父に質問を浴びせ、物語に登場する剣の達人をめぐって毎晩のように熱い議論を交すようになったそうです。晩御飯は父と息子の楽しい会話の時間となり、いつしか母と姉も話に加わるようになりました。1冊の講談本がきっかけで、著者の家の食卓は楽しく賑やかな一家団欒の場所へと変わったのでした。
著者は、このエッセイの最後で次のように書いています。
「そんな中で僕が一番感動したのは、父の本棚から自由に本を取り出して読んでいいという許可を貰えたことだった。時代小説を含めて書物好きだった父の本棚から、吉川英治の『神州天馬俠』や『宮本武蔵』、江戸川乱歩の『一寸法師』それに林不忘の『丹下左膳』などなど、本を通じて話ができることで、なにか男同士共通の秘密を分かち合えたような、一気に大人の男の仲間入りができたような誇らしい気持で胸が大きくふくらんだことが忘れられない。今は父との遠い思い出となってしまったが、佐々木小次郎の秘剣≪つばめ返し≫を父が木刀で、多分こうじゃないか、と僕に見せてくれたときの興奮、そのときの母の楽しそうな笑顔は僕の心の財産なのだ」
わたしは「本」と「家族」をめぐる、これほど幸せな文章を他に知りません。



そんな少年時代を経て、「本の虫」となった著者ですが、本書には息子さんの北川大祐さんとの本をめぐる心の交流も描かれています。
「父・児玉清と本――あとがきにかえて」で、北川さんは次のように書いています。
「僕自身は父のような読書家ではなく、子どもの頃に父から『本を読め』と言われた記憶もない。中学の頃に赤川次郎さんの本を読んで父に話したところ、『おまえが1冊読み終えたのか』と感動されたことだけはよく覚えている。大学生の頃からS・シェルダンなど海外の作家の作品も読み始めた僕は、やがて父の書棚からT・クランシー、P・コーンウェル、C・カッスラーといった作家たちの本を借りて読むようになり、父に『どうだった?』と聞かれるので感想を告げる。時折、そんな機会ができるようになった。ある意味で本は僕と父のコミュニケーションの道具になってくれていたのかもしれない」
この文章を読んで、わたしは自分のことをいろいろと思い出しました。
わたしの父も大の読書家でしたが、わたしが中学生くらいのときに『論語』の素晴らしさを教えてくれ、本居宣長平田篤胤柳田國男折口信夫南方熊楠といった人々の全集の前で、その偉大な業績について語ってくれたことを思い出したのです。
その後も、父とわたしの間では、いつも本はコミュニケーションの道具であり、考え方を伝授するテキストであったように思います。



本書で初めて発見したのは、著者の思想家としての顔です。
生前から保守的な考え方の持ち主として知られていたそうですが、第4章の「日本、そして日本人へ」に書かれた数々のメッセージには感銘を受けました。
日本経済新聞」の夕刊に掲載されたコラムがもとになっていますが、そこには「日本人」としてのあるべき姿が説かれています。
たとえば、「マナーという言葉が眩い」では、次のように書いています。
「けたたましい若い女性の笑い声とともに仲間と思われる3、4人の男女の大笑いがどっと重なった。僕はそのあまりの凄まじさに思わず耳を両手でふさいだ。ある列車内でのことであったが、次から次へとゲタゲタ笑いと突拍子もない嬌声が続いた。
そのたびにこちらも耳をふさぐうちに、次第に腹も立ってきた。
なぜ彼らは近くに他人が沢山いることを気にしないのだろうか。
仲間同士はどんなに楽しいかもしれないが、事実、だから大笑いで笑っているのだろうが、あまりに事もなげなのだ。つまり傍若無人なのだ。
そういえば、こうしたことは最近ひんぱんに身近で見かけるのだ。
手をバシバシ叩きながら大仰に笑い、いかに面白いかを仲間たちに強調している若い男女のグループをいろんなところで見かけるのだ。心底楽しんでるんだから、といってしまえばそれまでだが、あまりにも慎みがない。他人の存在などてんから考えてないとしか思えないのだ。マナーという言葉が眩い」



「TPOはどこに」というコラムでは、服装について次のように書いています。
異和感といえば、この夏、ある公共団体主催の表彰式に参列したときのことであった。表彰される者たちも、招かれた客たちもほとんど全員がネクタイ姿であるのに、表彰する側は皆クールビズということでノーネクタイであったことだ。
省エネのためのクールビズを徹底しようという、その心構えはわかるのだが、世にいうTPOではないが、社会の慣例として招かれた側が礼を重んじているのだから、表彰式という晴れの舞台であれば、贈る側のマナーとしてネクタイをつける洒落っ気もあってもなあ、とふと思ったのだ」



「我関せず人間」というコラムの冒頭では、次のように書いています。
「最近、車で走っていて気になることのひとつに、方向指示の明かりを点滅させないで、つまり右折か、左折かの信号を全然出さないで曲がる車が増えていることがある。その心を考えるに、それはおそらく≪どっちに曲がるかは、俺が、いや私がわかっているんだから、それでいいじゃないか≫ということなのだろう。ここで今さらいうまでもなく、方向指示の信号を出すのは自分のためではなく他の車に曲がる方向を教えることにある」



そして、このコラムの最後を次の文章で締めくくっています。
「ことは車に限らず、駅や空港や人の集る所、至る所で周りを気にしない我関せず人間が蔓延しつつある。改札口の手前で立ち話や挨拶をしていて、また空港の出口でツアー客に説明していて、人の流れを妨害しているのに、いささかも気付かない人。ちょっとした周囲への気配りさえあればなあ、と折にふれ考えてしまうのは、年寄りの小言幸兵衛的愚痴なのだろうか」



「髭剃りと幼児」の冒頭では、次のように書いています。
「国内線の早朝便でのことであった。着陸態勢に入った機内で突如ジョリジョリと髭を剃る電気カミソリの音が大きく響いた。僕は不快な音のする後の席を思わず振り返った。そこには無邪気に髭を剃っている中年の男性がいた。僕は耳を手でふさぎたくなる気持を押さえて、顔を元の位置に戻しながら≪せめてトイレへ行って髭を剃ってくださいよ≫と独り言ちた」
髭を剃っている自分は爽快かもしれません。しかし、他人の髭を剃る音は決して心地良いものではありません。他人のことを配慮しないデリカシーの無さも問題ですが、何よりも機内は公共の場であり、マナーの問題なのです。



続いて、「髭剃りと幼児」には次のようにも書かれています。 
「つい先だっても、東京へ帰る最終便の機内で、考えさせられる事態に遭遇した。2歳ぐらいの女の子を連れた30代前半と思える若き夫婦が、甲高い奇声を発ししゃべり続け、ときには歌も唄い出す娘に、≪静かにしなさい≫と制止しないのだ。いや、小さな声で何か父親が言っているのだが、制止どころかそれは恰も、自分たちの大事な宝物が喜んで話しているのだから、あなたがたも聞いてくださいね、といった感じなのだ。突拍子もない高い声が絶え間なく続く機内。一度気になり出したら、もうたまらない。しかし誰もそれを止める者がいない」



好感度の高いタレントが、全国紙に堂々とここまで発言するとは凄い!
「マナー」や「モラル」の問題はわたしの専門の1つでもありますが、著者の見識の高さと正義感の強さには心から感服します。
著者は世の中の無礼者に対して、ただ愚痴をつぶやいていただけではありません。
息子の北川大祐さんによれば、「ルールを守らないこと、礼儀やマナーに反することを何より嫌った父は、許せない態度に出会うと相手構わず喧嘩をしたり、容赦ない言葉を投げつけたりもした」そうです。うーん、児玉清さん、凄すぎる! 
そして、あまりにもカッコ良すぎる! 
じつは、わたし自身も何度かそんな経験をしています。
それだけに、児玉さんの益荒男ぶりが目に浮かぶようです。



「読書」と「常識」。これが本書の二大テーマであると言ってもよいでしょう。一見あまり関係がなさそうな2つのテーマですが、「詐欺」というコラムで見事に結びつきます。
振り込め詐欺の被害者が絶えない現状に対して、著者は次のように書いています。
「騙された方々には同情を禁じ得ないが、どうして、こうも簡単に騙されてしまうのかという不思議さも大きい。巧妙な手口を考案する悪辣な騙し屋の増殖する日本に危機感を抱き、猛烈に腹が立つのはもちろんだが、それにしても、ちょっとした大人の智恵があれば、相手のレトリックの疑わしさや齟齬に気付くはずだと考えてしまうのは酷だろうか」



そして、この「詐欺」というコラムの最後に、著者は次のように書くのでした。
「事件や事故を解決するために直ぐに金を振り込め、直ぐに儲かるから金を出せ、こうした不自然な話に疑うこともなく乗ってしまう、素朴さというのか幼稚さは一体どこからくるのか。読書離れの激しい国の特徴的傾向と考えてしまうのは僕の偏見であろうか」
これも、なかなか言えるセリフではありません。でも、わたしはまったく同感です。
「すごい、児玉さん、よく言った!」と快哉を叫んだ人は多かったのではないでしょうか。



何よりも読書を愛し、高い道徳性を持った著者は、真の教養人だったと思います。
本当のインテリジェンスは、大量の本を読むだけでは身につきません。
実際に体験し、自分で考えて、初めてその人の教養になるのです。
インテリジェンスには、さまざまなな種類があります。
学者のインテリジェンスもあれば、政治家や経営者のインテリジェンスもある。冒険家のインテリジェンスもあれば、お笑い芸人のインテリジェンスもある。
けっして、インテリジェンスというものは画一的なものではありません。
しかし、すべての人々に必要とされるものこそ、「心のインテリジェンス」であり、より具体的に言えば、「人間関係のインテリジェンス」ではないでしょうか。
つまり、他人に対して気持ち良く挨拶やお辞儀ができる。
相手に思いやりのある言葉をかけ、楽しい会話を持つことができる。これは、「マネジメントとは、つまるところ一般教養のことである」というドラッカーの言葉にも通じます。
マネジメントとは、「人間関係のインテリジェンス」に関わるものだからです。
いくら多くの本を読んだとしても、挨拶ひとつ満足にできない人は教養のない人です。
わたしは、読書という営みは、「人間関係のインテリジェンス」につながるべきだと思います。そして、その達人こそが著者・児玉清さんではなかったでしょうか。



わたしの妻は生前の著者の大ファンで、著者の声が好きと言っていました。
でも、わたしは著者の考え方と生き様が好きです。できることなら、わたしもいつの日か、著者のような「頑固爺さん」もとい「情熱紳士」になりたいと心から憧れています。
著者は「オリンピックおたく」と自称するほど五輪の開催を楽しみにしていたそうです。
2004年のアテネオリンピックでは、念願かなって現地で観戦したそうです。
今年のロンドンでの日本勢の活躍を見せてあげることができなかったのは残念ですが、きっとあちら側で応援していたことでしょう。
それにしても、本書に書かれた名調子がもう読めないとは残念です。
永遠の情熱紳士・児玉清さんの御冥福を心よりお祈りいたします。合掌。


*このブログ記事は、1998本目です。


2012年8月31日 一条真也

『読書の技法』

一条真也です。

『読書の技法』佐藤優著(東洋経済新報社)を読みました。
著者は、「知の怪物」として知られる作家・元外務省主任分析官です。
ブログ『野蛮人の図書室』で紹介した本の著者でもあります。本書には、「誰でも本物の知識が身につく熟読術・速読術『超』入門」という長いサブタイトルがついています。


熟読術・速読術「超」入門



帯には目玉をギョロッと剥いて腕組みをした著者の上半身の写真があります。
背景には書架が並んでいるので、著者自身の書庫で撮影したと思われます。
「佐藤流 本の読み方 初公開!」というコピーに続き、次の言葉が記されています。
「月平均300冊、多い月は500冊以上」「基本書は3冊買って、真ん中から読め」「1冊5分で読む『超速読』と30分で読む『普通の速読』を使いこなせ」「読書の要『基礎知識』は、高校の教科書と学習参考書で身につけろ」
惜しむらくは、書架に入った本の書名とかぶって帯のコピーが読みにくいこと。
書庫の写真は表紙に使って、帯は文字だけにするとか出来なかったのでしょうか。



ただ、本書の冒頭に掲載された8ページにわたるカラー写真は圧巻です。
「書斎と仕事場」「佐藤流 本の読み方」「佐藤流 ノートの作り方、使い方」などが写真とともに紹介されており、非常に興味深かったです。
著者の蔵書は自宅、自宅近くの仕事場、箱根の仕事場に分かれており、合計4万冊が収められているそうです。いずれの書架もきれいに整理されて並べられています。
収納スペースは、全体で約7万冊分確保しているそうです。これは、うらやましい!
わたしが将来、自分の書庫を作る際の参考にしたいと思います。



本書の「目次」は、以下のような構成になっています。
「はじめに」
第1部 本はどう読むか
第1章:多読の技法〜筆者はいかにして大量の本を読みこなすようになったか
第2章:熟読の技法〜基本書をどう読みこなすか
第3章:速読の技法〜「超速読」と「普通の速読」
第4章:読書ノートの作り方〜記憶を定着させる抜き書きとコメント
第2部 何を読めばいいか
第5章:教科書と学習参考書を使いこなす〜知識の欠損部分をどう見つけ、補うか
    【世界史】【日本史】【政治】【経済】【国語】【数学】
第6章:小説や漫画の読み方
第3部 本はいつ、どこで読むか
第7章:時間を圧縮する技法〜時間帯と場所を使い分ける
「おわりに」
[特別付録]本書に登場する書籍リスト



第1章「多読の技法〜筆者はいかにして大量の本を読みこなすようになったか」の冒頭で、著者は「佐藤さんは、月に何冊くらいの本を読みますか?」という質問に対して、「献本が月平均100冊近くある。これは1冊の例外もなく、速読で全ページに目を通している。それから新刊本を70〜80冊、古本を120〜130冊くらい買う。これも全部読んでいる」と答えています。この驚異的な著者の読書量は、「熟読」「超速読」「普通の速読」と使い分けた読み方によって可能となっています。
本書のカバーの折り返しに掲載されている読み方の要点を以下に引用します。



佐藤流「熟読」の技法
1.まず本の真ん中くらいのページを読んでみる【第一読】
2.シャーペン(鉛筆)、消しゴム、ノートを用意する【第一読】
3.シャーペンで印をつけながら読む【第一読】
4.本に囲みを作る【第二読】
5.囲みの部分をノートに写す【第二読】
6.結論部分を3回読み、もう一度通読する【第三読】
▼熟読の要諦は、同じ本を3回読むこと
基本書は最低3回読む
  第1回目  線を引きながらの通読
  第2回目  ノートに重要箇所の抜き書き
  第3回目  再度通読
  熟読できる本の数は限られている
  熟読する本を絞り込むために、速読が必要になる



佐藤流「超速読」の技法(1冊5分程度)
1.5分の制約を設け、最初と最後、目次以外はひたすらページをめくる
▼超速読の目的は2つ
 本の仕分作業と本全体の中で当たりをつける



佐藤流「普通の速読」の技法(1冊30分程度)
1.「完璧主義」を捨て、目的意識を明確にする
2.雑誌の場合は、筆者が誰かで判断する
3.定規を当てながら1ページ15秒で読む
4.重要箇所はシャーペンで印をつけ、ポストイットを貼る
5.本の重要部分を1ページ15秒、残りを超速読する
6.大雑把に理解・記憶し、「インデックス」をつけて整理する
▼普通の速読は、新聞の読み方の応用


わたしなりの「読書の技法」を示しました



本書は、非常に具体的なアドバイスが満載された実践的な読書術の本だと思います。
わたしには、『あらゆる本が面白く読める方法』(三五館)という著書があります。
「万能の読書術」というサブタイトルがつけられた同書の第1部「技術篇」は、まさに、わたしなりの読書の技法について書きました。わたしの読書術は、本書『読書の技法』に書かれた佐藤優氏の読書術と重なる部分が多々ありました。もちろん全部がそうではありませんが、だいたい8割ぐらいは著者の読み方と共通していると思います。



その中でも、わたしが初めて触れた読み方もありました。熟読の技法の最初に紹介されている「まず本の真ん中くらいのページを読んでみる」という部分です。
著者は、何かを勉強するとき、まず基本書を3冊使うことを提唱します。
最初に、この3冊の基本書のどれから読み始めるかを決めなければなりません。
それにはまず、それぞれの本の真ん中くらいのページを開いて読んでみることだとして、著者は次のように述べています。
「なぜ、真ん中くらいのページを開くのかといえば、本の構成として、初めの部分は『つかみ』と言って、どのように読者を引き込むかという工夫を著者と編集者がしており、最終部の結論は、通常、著者が最も述べたいことを書いているので、読みやすいからだ。翻訳書の場合、そのような本自体の構成に加え、真ん中くらいになると緊張が続かなくなり、翻訳が荒れてくることがある。
真ん中くらいというのは、実はその本のいちばん弱い部分なのである。あえて、このいちばん弱い部分をつまみ読みすることによって、その本の水準を知るのである」



また、最終章である第7章「時間を圧縮する技法〜時間帯と場所を使い分ける」の以下のくだりも非常に参考になりました。
「筆者は1日2回、まとまった読書の時間を設けている。13時半〜19時の間の数時間と、24時〜26時だ。合計すると1日約6時間だが、どんなに忙しくても4時間を下回ることはない。少なくとも4時間というのは、自分の中で絶対に守らなければいけない読書のための時間だと考えている。
このときには、現在仕事で必要な本は極力読まないようにしている。本を読んでから、その情報が頭の中で整理されて、きちんと引き出せるようになるためには、一定の時間が必要になる。これには個人差があるが、筆者の場合、だいたい3カ月から6カ月とすると、新しい知識が『発酵』して頭に定着し、自分で運用できるようになる」
これまた、わたし自身と重なる部分が多くて、よく理解できました。



本書の第1部「本はどう読むか」は、『あらゆる本が面白く読める方法』の第1部「技術篇」の内容と重複します。しかし、本書『読書の技法』には第2部「何を読めばいいか」があり、そこで多くの名著が紹介されていますが、『あらゆる本が面白く読める方法』にはそのような読書案内のページがありません。ぜひ今度は、わたしも名著案内の役割を果たすブックガイドを書いてみたいと思います。
本書『読書の技法』は「知の怪物」の秘密を解き明かす好著ですが、わたし自身も大いにインスパイアされました。わたしも以前は著者に負けないほどの大量の本を読んでいた時期もありましたが、ここ最近はブログを書くこと、特に長文の書評ブログを書くことに時間を取られ過ぎてしまい、読む本の冊数がすっかり少なくなってしまいました。
もちろん書評ブログを書くことも大切なのですが、これまでの自分の姿と比べてみると、インプットに対してアウトプットの比重が高くなり過ぎた気がしています。
ブログばかり書いていないで、もっと本を読まなければと強く思いました。


*このブログ記事は、1997本目です。


2012年8月31日 一条真也

読書コミック

一条真也です。
ブログ「図書館コミック」で、図書館をテーマにしたさまざまなコミックを紹介しましたが、本そのものをテーマにしたコミックも存在します。
わたしは「読書コミック」と呼んでいるのですが、なかなかの名作です。


運命の本との邂逅を描く傑作漫画


まず、ご紹介したいのは『本棚の神様』深沢かすみ著(集英社)。
帯には「――人生を変えた1冊との邂逅を描く珠玉の読み切り漫画作品集――」と大きく書かれており、続いて「読書ガイドとしても最適!!」「元となった文学作品の解説コラム+BOOKガイド付き」と記されています。
また、カバー裏には次のような内容紹介があります。
「娘を兄に預け歌手の夢を追った母親、ちゃんと理解し合えぬまま姿を消した友人、互いの感情のすれ違いで崩壊寸前の家族・・・・・。さまざまな人生のさまざまな瞬間に訪れる、1冊の本との出会い、ふれあいを描いた漫画作品集」



本書の「目次」は、以下のようになっています。
BOOK  芥川龍之介杜子春
BOOK  太宰治「黄金風景」
BOOK  T・ウィリアムズ「ガラスの動物園
BOOK  野上弥生子「山姥」
BOOK  堀辰雄風立ちぬ
BOOK  八木重吉「定本 八木重吉詩集」
BOOK  イプセン「人形の家」
「BOOKガイド」



『本棚の神様』というタイトルから、わたしは最初、図書館の司書か書店員の物語なのかなと思いました。でも、それは勘違いで、この漫画には主人公はいません。それぞれの物語では、さまざまな人物が登場して、さまざまな人生の辛苦を味わい、そしてさまざまな本と出合って生きてきます。
ブログ『論語』ブログ『ネクスト・ソサエティ』にも書きましたが、文学作品ではないにせよ、わたし自身も本との出合いで人生の活路を得たという経験があります。
人生を変えた1冊というのは確かに実在します。もし、「自分には、そんなものは関係ない」と言う人がいたら、その人はまだその1冊に出合っていないだけでしょう。
その運命の1冊に邂逅するために、人は読書を続けるのかもしれません。
本書に収められた7つの物語は、いずれも読む者の胸を打ちます。
なんというか「人間が生きる意味」のようなものを問うているような気さえします。
これほどの名作が現在絶版中というのが本当に残念です。
本を愛するすべての人におススメしたいと思います。


読書の歓びを繊細華麗に描き出す



続いてご紹介したいのが、『草子ブックガイド』第1巻、玉川重機著(講談社)です。
帯には「青春は、一冊の本からはじまった。」と大きく記され、続いて「読書の歓びを繊細華麗に描き出す幻の漫画家12年ぶりの新作」と書かれています。
アマゾンには、以下のように本書の内容が説明されています。
「内海草子(うつみそうこ)は本を読むのが好きで好きでたまらない中学生。いつも本を読んでいて、本の中の世界にひたっている。内気で、他人と打ち解けるのが苦手な草子にとって、古書・青永遠屋(おとわや)の店主は良き理解者。読んだ本の感想を描いた草子の『ブックガイド』が、店主を喜ばせ、さらには周囲の人々に本を読むことの素晴らしさを伝える。濃密な絵柄で、読書の魅力を最大限に表現する」



どこにも居場所がない草子は、東京の小さな古書店で万引きを繰り返します。
その行為そのものは立派な犯罪行為であり、けっして許されることではありません。
しかし、草子の孤独に気づいていた店主は、彼女の良き理解者となります。
草子は、青永遠屋を通じて出会った本を、ひたむきに読み解きます。そして、その感想をメモに記すことによって、徐々に人々や世の中と結びついていきます。
草子独自の「ブックガイド」は、読んだ本のポイントを繊細にすくいあげ、イメージ豊かに語り尽くします。それも、草子が本の中に登場するキャラクターに毎回なりきるのです。本の登場人物になるきることによって、草子は鮮やかな「読み」を披露します。



この第1巻には、『新約ロビンソン漂流記』『ティファニーで朝食を』『山月記』『名人伝』『山家集』などが登場します。いずれの話もそれぞれ面白いのですが、その中でも特に興味深かったのは、『ティファニーで朝食を』のエピソードです。
草子は、この本でブックトークに挑戦するのです。
ブックトークとは、テーマを1つ決めて、それに関連した本を数冊選び、それぞれの本につながりを持たせながら紹介していく方法です。
語りのうまい司書が話術を駆使して本を紹介していきます。
司書の代わりに、児童や生徒がやることもあります。



このブックトークの場面を読んで、わたしは現在流行中の「ソーシャル・リーディング」の原点であると思いました。「ソーシャル・リーディング」というのは、インターネットなどで多くの人と本の感想などを共有する読書法です。
本好きの人は1人で読書をしますが、それだと寂しくて、普通は何か共感したいという欲求があるものです。ということから、現在はいくつかのソーシャルリーディングサイトがインターネット上に作られています。その原点こそ、本書で草子が行ったブックトークなのです。読書というと、なんだか孤独な行為のように思いがちですが、読書によって他人とつながることもできるのです。本書は、そのことを教えてくれます。
第2巻の刊行が「待ち遠しい」と心の底から思います。


*このブログ記事は、1996本目です。


2012年8月30日 一条真也

図書館コミック

一条真也です。

いま、コミックの世界では「図書館コミック」というジャンルが生まれつつあります。
ブログ『鞄図書館』で紹介したコミックもそうですが、その他にもあります。
その代表作ともいえる名作が、『夜明けの図書館』埜納タオ著(双葉社)です。


ほんのりあったか、図書館コミックの誕生



帯には「その疑問、新米司書がお手伝いします。」と大きく書かれ、続いて「利用者の調べものをサポートする『レファレンス・サービス』。難問・奇問の裏に隠された真実とは・・・!?」とあります。
そう、本書は市立図書館で働く新米司書・ひなこの物語です。
日々、ひなこは利用者からはいろんな質問を投げかけられます。
それも、「ある写真を探している」「光る影の正体が知りたい」などの難問ばかりでした。
こうした疑問に対し、適切な資料を紹介するのも図書館員の仕事なのです。
ひなこは、迷宮入りしそうな利用者の疑問に敢然と立ち向かっていくのでした。
まさに、新感覚の「ライブラリー・コミック」の誕生と言えるでしょう。



本書には、次の4つのエピソードが収められています。
第1話「記憶の町・わたしの町」
第2話「父の恋文(ラブレター)」
第3話「虹色のひかり・・・」
第4話「今も昔も・・・」



いずれのエピソードも、読者の知的好奇心を刺激し、最後はじんわりと感動させてくれるハート・ウォーミングな話ばかりです。そして、そこには少しのヒントでも見逃さずに、なんとか利用者の力になりたいという主人公ひなこのプロ根性があります。
わたしは、ひなこの情熱に「ホスピタリティ」を強く感じました。
そう、ホスピタリティとはけっしてホテルや飲食業だけのものではありません。
お客様のいる仕事なら、どんな仕事にだって求められるものなのです。
若い女性をはじめ、いろんな仕事に就いている人がいるでしょうが、本書を読めばきっと自分の仕事に前向きになれるのではないでしょうか。



本書のアマゾン・レビューの中に、こんな意見がありました。
「こんなに一生懸命になって、本を探してくれる司書がいたら、本を探してもらった人は、どんなにうれしいと思うだろう・・・。この作者さんの描き出す繊細な絵も、紡ぎだす言葉も、一つ一つの人生も、どれもが美しく、この本が好きになりました。『図書館に行きたいな』そう思ってしまう、暖かい物語でした」
わたしも、このレビュアーの方にまったく同感です。
こんなに読後爽やかな気分になったコミックは久しぶりです。
著者には、ぜひ続編を書いていただきたいと思います。


「児童書のソムリエ」の物語



次に紹介する図書館コミックは、『図書館の主』1・2巻、篠原ウミハル著(芳文社)。
ある私立の児童図書館に勤める名物司書・御子柴の物語です。
彼は地味なメガネをかけた無愛想な男ですが、仕事は一流です。
図書館を舞台に「児童書のソムリエ」が活躍します。



この漫画には、「うた時計」「宝島」「幸福の王子」「少年探偵団」「ニルスのふしぎな旅」「貝の火」「クリスマス・キャロル」などの児童書が続々と登場します。
どれもが子どもの頃に夢中になって読んだ本ばかりで、とても懐かしかったです。
子どもの頃、本は魔法のじゅうたんでした。本を開けば、どんな場所にだって、どんな時代にだって、自由自在に飛んでいけました。
本書には翔太という少年が登場します。最初は本などに興味を示さなかった翔太ですが、御子柴のすすめで『宝島』を読み始めます。その面白さのとりこになった彼が「なんか全部読んでしまうのがもったいねーんだよなー」と言う場面があります。
その言葉、涙が出るほど、よくわかりますね。
でも、御子柴は「安心しろ」とひとこと言います。
そして、「『宝島』を読み終わったら、また新しい本を借りに来ればいい。ここには、こんなにお前を待ってる本があるんだ」と言うのです。いやあ、素晴らしいセリフですね。



本書の主人公である御子柴は「児童書のソムリエ」ですが、じつはわたしも「本のソムリエ」と呼ばれることがあります。というのも、新聞や雑誌で「ハートフル・ブックス」および「一条真也の読書塾」といった読書案内を連載しているからです。
これまで、じつに多種多様な本を毎月紹介してきました。時々、北九州の飲食店をはじめ、理髪店とか立体駐車場などに行くと、「この前紹介されていた本を読みました。とても面白かったです!」などと言われることがあるのですが、本当に嬉しいですね。その方の心の養分をプレゼントしたような気分になってきます。



もちろん、わたしが紹介する本の中には児童書も含まれています。
児童書といえば「童話」が思い浮かびますが、わたしには『涙は世界で一番小さな海』(三五館)という著書があります。この本では、アンデルセンの「人魚姫」「マッチ売りの少女」、メーテルリンクの「青い鳥」、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」、そしてサン=テグジュぺリの「星の王子さま」といった童話の読み方について書きました。
まだ読まれていない方は、どうぞ御一読下さい。


世界で最初の本を読みたい



最後に紹介したいのが、『永遠図書館』1・2巻、赤星治人著(講談社)です。
ちょっと絵柄が萌え系で、正直言って、わたしの趣味ではありません。
しかし、「図書館」がテーマということで読んでみた次第です。第1巻の帯には「世界で最初の本を読みたい。」と大きく書かれ、「少女は幼い頃からの願いを胸に、『永遠図書館』の白道司書(ベルベット)を目指す」と続きます。



アマゾンでは、第1巻の内容を次のように説明しています。
「『宇』とは空。『宙』とは時。そこは宇と宙の狭間に在るコネプルシア図書館。そこには全宇宙の歴史と英知が集まるが故に、通称『永遠図書館』と呼ばれています。そして、本が大好きな少女メシェは、幼い頃からの憧れだったその図書館の『白道司書<ベルベット>』を目指しています。いつか、『世界で最初の本』を読む日を夢見て──」
また、第2巻の内容は次のように説明されています。
「全宇宙の歴史と英知が集まるが故に『永遠図書館』とも呼ばれるコネプルシア図書館。その禁断の中央書庫塔の深奥にあるという『世界で最初の本』を 読む夢を抱く白道司書<ベルベット>メシェは、未だ見習いの身。そんな彼女に、白道司書<ベルベット>として独り立ちできるか否かを決する試練の 時が訪れようとしていました──」



まず、『永遠図書館』というタイトルが素晴らしいですね。
わたしの敬愛する作家であるボルヘスの『バベルの図書館』を連想させます。
また、本書のストーリー自体もボルヘスの世界を彷彿とさせる神話とファンタジーの融合のような幻想的な物語になっています。あまりにも超現実的な世界を描いていて、舞台は図書館というイメージを超越してしまっています。
まるで「図書館星」とでも呼ぶべき惑星の歴史を読んでいるようです。


前代未聞! ワンダーランドのカタログ



わたしの監修書に『よくわかる伝説の「聖地・幻想世界」事典』(廣済堂文庫)という本があるのですが、その本の中に紹介したいような図書館でした。
もともと、本とは「ここではないどこか」に連れていってくれる魔法のじゅうたんであり、その本が集まった図書館とはワンダーランドに他なりませんが、本書のようにここまで図書館という場所をファンタジーにしてしまったのは凄いと思います。


*このブログ記事は、1995本目です。


2012年8月30日 一条真也

パゴダ再開報道

一条真也です。

ブログ「世界平和パゴダ再開」に書いたように、昨日、休館中だった世界平和パゴダが再開しました。昨夕は、NHKをはじめ各テレビ局のニュースでも報道されました。


パゴダ再開を報道する各紙の朝刊



また、「朝日」「毎日」「読売」「西日本」など、今日の各新聞の朝刊でも大きく報道されています。日本で唯一の上座部仏教の寺院である世界平和パゴダの再開に大きな期待が寄せられていることがわかります。
毎日新聞」には、次のように書かれています。
「今回の活動再開は、休館の長期化を懸念したミャンマー側が新たに『僧侶2人の派遣』『半年間の2人の滞在費負担』『日本とミャンマー企業の寄付金による僧院整備』――などを決定して実現した。
29日から僧侶2人がパコダでの生活を開始。また、日本の有識者などでつくる『ミャンマー・日本仏教交流委員会』(佐久間進委員長)も同日発足した。今後は同委員会が運営の資金確保などを進めるという。佐久間委員長は『課題は多いが、幅広い企業、個人に資金協力を依頼し永続的な活動を実現したい』と述べた」


記者会見で挨拶する佐久間委員長



たしかに佐久間委員長の言葉通り、課題は多いです。
でも、何としてもブッダの本心に近い上座部仏教の聖地を守らなければなりません。
今日の早朝、仙台市三陸沖で震度5強地震がありました。
1年半近く前になる東日本大震災の余震だそうです。
地震津波放射能、いじめ、孤独死・・・・・日本人の心は不安に揺れ動いています。
ミャンマーと日本の友好のためにも、戦没者の慰霊のためにも、また日本人の「こころの未来」のためにも、世界平和パゴダの存在意義は限りなく大きいと言えるでしょう。


再開した世界平和パゴダ



なお、「世界平和パゴダ」についてのお問い合わせは以下までお願いいたします。
ミャンマー・日本仏教交流委員会」事務局
TEL:093−551−9950 
(担当)石田、冨樫


*このブログ記事は、1994本目です。


2012年8月30日 一条真也

世界平和パゴダ再開

一条真也です。

今日は、わたしにとって忘れられない日となりました。
閉鎖されていた「世界平和パゴダ」が、ついに再開したのです。


再開した世界平和パゴダ



これまでの経緯については、ブログ「世界平和パゴダ」ブログ「大僧正のお別れ会」ブログ「世界平和パゴダ再訪」ブログ「ミャンマー大使館」ブログ「ブッダ・ミッション」などに書いてきた通りです。詳しくは、そちらをお読み下さい。


威厳に満ちたミャンマー

ウ・ヴィマラ長老(左)とウ・ケンミェンタラ僧(右)



昨日、北九州市小倉の松柏園ホテルに3人のミャンマー僧が来られました。
ミャンマー仏教界の最高位にあるウ・エンダパラ三蔵位大長老を筆頭に、新たにミャンマーから世界平和パゴダに派遣されたウ・ヴィマラ長老とウ・ケンミェンタラ僧です。
ウ・ヴィマラ長老は1964年9月16日生まれの47歳、マンダリン仏教大学教授でもあります。ウ・ケンミェンタラ僧は1981年6月15日生まれの32歳、インドとスリランカで厳しい修行をされました。新しく赴任されたお二人は昨夜は松柏園ホテルに宿泊されましたが、今夜から世界平和パゴダで生活されます。
つまり、本日をもって「世界平和パゴダ」が再開されたことになります。
お二人とも、とても清々しい目をされ、かつ威厳に満ちておられます。
まさに、宗教者としてのオーラを存分に放たれていました。


記者会見のようす



また、この度、ミャンマーと日本両国の仏教交流及び親善のため、また再開された「世界平和パゴダ」の健全な運営を目的に「ミャンマー・日本仏教交流委員会」が発足しまし、松柏園ホテルで記者会見が行われました。
ミャンマー・日本仏教交流委員会」のメンバーは以下の通りです。
委員長:佐久間進サンレーグループ会長)
委員:鎌田東二京都大学こころの未来研究センター教授)
委員:井上ウィマラ(高野山大学准教授)
委員:井上幸一(農業資源開発コンサルタント
委員:八坂和子(宗教法人世界平和パゴダ理事)
委員:佐久間庸和(株式会社サンレー社長)


佐久間委員長に委嘱状が手渡されました



テレビ、新聞を中心に多くのマスコミが取材に訪れました。
最初に、エンダパラ大長老とキン・マゥン・ティン駐日ミャンマー大使より、サンレーグループ佐久間進会長に世界平和パゴダ運営の委嘱状が手渡されました。


エンダパラ大長老の挨拶

駐日ミャンマー大使の挨拶



それから、ウ・エンダパラ三蔵位大長老より挨拶がありました。
大長老は「ミャンマーと日本両国の友好の証である世界平和パゴダが今日から再開され、まことに喜ばしい。テーラワーダ上座部)仏教の普及によって、日本人の心の安らぎに貢献できることを願っています」と述べられました。
続いて、キン・マゥン・ティン駐日ミャンマー大使より「今回の世界平和パゴダ再開によって、両国の仏教交流と親善が進むことを願っています。日本のみなさまにも広く協力をお願いいたします」として、世界平和パゴダ運営のための募金の協力を日本人に呼びかけられました。振込先は、以下の通りです。
三井住友銀行 五反田支店
口座番号:普通 8416742
口座名義:WORLD PEACE PAGODA FUND AMBASSADOR KHIN MAUNG TIN


挨拶する佐久間委員長



続いて、「ミャンマー・日本仏教交流委員会」の佐久間進委員長が挨拶しました。
佐久間委員長は、「世界平和パゴダはビルマ戦線での戦没者の慰霊塔のようなイメージが強いですが、もともとパゴダとは聖なる寺院です。この聖地を一日も早く復活すべく微力ながらお手伝いさせていただくことになりました。わたし個人としては、日本が無縁社会を乗り越えるための拠点にもしたいと考えています」と述べました。


挨拶する八坂和子委員



委員の中では、八坂和子氏とわたしが記者会見に参加しました。
八坂氏は「世界平和パゴダの歴史は、ウ・ケミンダ大僧正とともにありました。御縁あって私が看取らせていただきましたが、ウ・ケミンダ大僧正が亡くなられたことによって、パゴダの第一幕は下りました。そして、いま、第二幕が上がりつつあります。この先のストーリーはまだ誰にもわかりません。これから、皆さんと一緒に力を合わせて素敵なドラマにしていきたいと思います」と、非常に感動的な挨拶をされました。


最後に、わたしも話しました



そして最後にわたしもマイクを持って話させていただきました。
「『無縁社会』とか『孤族の国』といった言葉があります。日本人のこころの未来は明るいとは言えません。このような状況を乗り越えるシンボルに世界平和パゴダはなり得ると思います。日本で唯一の上座部仏教の聖地であり、ブッダの骨を収める仏舎利も有していることから観光的資源としても大きな可能性を持っています。さらには、建築デザインも素晴らしく、平和のモニュメントとしての意味も限りなく大きいと言えます。わたしは、将来的に広島の原爆ドームと同じく『世界文化遺産』にすることも夢ではないと考えており、ぜひ、ユネスコに申請したいと思っています。諸々のことを含めて、世界平和パゴダの意義と重要性を広く発信していきたいです」と申し上げました。
ユネスコ世界文化遺産申請のアイデアは大使から大変喜ばれ、会見終了後には「全面的に協力させていただく」とのお言葉を頂戴しました。



記者会見は2時間以上にわたって続きました。
その模様は早速、今夕のTVニュースで放映されます。以下の通りです。
18:00〜19:00「こんばんは北九州」(NHK)
18:15〜19:00「今日感NEWS」(RKB)
18:15〜19:00「NEWS5ちゃん」(FBS)


三蔵法師孫悟空親子(?)



また明朝、「朝日」「毎日」「読売」「西日本」の各紙で報道されるようです。
会見終了後、ホテルのロビーでエンダパラ三蔵位大長老、佐久間委員長とともに記念撮影しました。悩める三蔵法師を助ける「孫悟空親子」として、これからもわたしたち父子は全力で頑張る所存です。すべてはブッダのお導きのままに・・・・・。


*このブログ記事は、1993本目です。


2012年8月29日 一条真也

『鞄 図書館』

一条真也です。

『鞄図書館』第1巻、芳崎せいむ著(東京創元社)を読みました。
ブログ『金魚屋古書店』シリーズで紹介したコミックと同じ作者による作品です。
主役は、あらゆる書物を所蔵するという、幻の「鞄図書館〉」です。
不思議な鞄と司書の2人が世界を巡り、出会った人々と温かな交流を繰り広げます。


あらゆる本を揃えるという、幻の「鞄図書館」



現在、コミックの世界には「図書館もの」というジャンルがあるようで、本書をはじめとして、『夜明けの図書館』とか『図書館の主』とか『永遠図書館』といった作品がよく読まれているようです。大の本好きであるわたしは、もちろん図書館も大好きですので、こういったジャンルが育ってくれることは何とも嬉しい限りです。でも、本書『鞄図書館』は単なる図書館ものというよりも、摩訶不思議なファンタジーの部類に入るでしょう。
なにしろ、ひとつの鞄の中が途轍もなく広い空間になっていて、その中に、この世のありとあらゆる本がすべて納まっているという話なのですから・・・・・。



本書の帯には「出会いと知識を詰め込んだ、不思議な鞄の物語。」と大きく書かれ、「あらゆる本を揃えるという、幻の『鞄図書館』。あなたのお探しの本も、ここにあるかもしれません・・・・・」と続きます。鞄図書館の司書を務めるおじさんは、世界中いや、あるときは異世界にまでも足を延ばして本を貸し出します。
貸与期間は1年間で、そこにさまざまなハートフルなドラマが展開していきます。
それぞれのエピソードは約10ページ前後と短いですが、どれも内容が濃いです。
そして、登場する本たちのラインナップの渋いこと!



名作絵本の『ぐりとぐら』にはじまって、英国人エドワード・ウエバリーを主人公とする歴史小説『Waverley』、谷川俊太郎訳の『マザー・グース』。
アガサ・クリスティの『アクロイド殺害事件』、ダシール・ハメットの『血の収穫』。
ラヴクラフトの『ネクノロミコン』、ジュール・ヴェルヌの『海底二万里』、大阪圭吉の『とむらい機関車』、日本聖書協会の『聖書』、エドガー・アラン・ポーの『黒猫』。
レイ・ブラッドベリの『10月はたそがれの国』と『スは宇宙(スペース)のス』。
本書の版元が東京創元社で、もともとが同社のミステリ専門誌である「ミステリーズ!」に掲載されていたためでしょうか、創元推理文庫とか創元SF文庫が多いのが目につきますね。でも、それぞれの本たちはじつに魅力的に描かれ、なんだか読みたくなってきます。また、鞄はことあるごとにゲーテの言葉を持ち出しますが、これも味わいがありました。本好きには、たまらない短編集でした。早く、第2巻が読みたいです。


*このブログ記事は、1992本目です。


2012年8月29日 一条真也