天河大弁才天社

一条真也です。

昨日、天河大弁才天社を訪れました。
厳島竹生島とともに日本三弁天のひとつとして知られます。
陰陽師の仕業のような多くの奇怪な妨害に遭ったため、遅れに遅れた天河到着でしたが、先に天河火間に直行しましたので、神社への到着はまさに陽が落ちる寸前でした。
柿坂神酒之祐宮司に温かく迎えられ、早速、拝殿にて参拝させていただきました。
間違いなく日本一の神社参拝者である鎌田東二さんが石笛と法螺貝を吹かれ、祝詞をあげてくれました。その後、鎌田さんに続いて、二礼二拍手で参拝しました。


                   天河大弁才天社を参拝


天河大弁才天社は、霊山大峯の緑深い山懐に抱かれています。
修験道の祖とされる役行者空海天武天皇の時代から、聖域として崇められてきました。それでいて、川の流れの如く星の瞬く如く、いかなる権力にも組せず“ありのまま”であり続けてきた神社です。太古より多くの聖人たちは、“ありのままの本当の自分”に出会うために、この地を訪れたのかもしれません。



わたしが天河大弁才天社を訪れたのは、じつに20年ぶりです。
以前も、鎌田さんと一緒に来ました。その頃の天河神社は、鎌田さんをはじめ、漫画家の美内すずえ氏、ミュージシャンの細野晴臣氏、故・宮下富実夫氏らが連日のように訪れ、「精神世界の六本木」として大きな注目を集めた時代です。
ブライアン・イーノ北島三郎といったビッグネームも天河で公演しています。
もともと芸能の神様をまつっているので、芸能界関係者の参拝は多かったようです。
角川映画の「天河伝説殺人事件」も公開されたばかりでした。
今や天河は「世界遺産」の一角ですが、なんとも不思議な気に満ちた場所です。



鎌田さんは、天河について著書『聖地への旅』(青弓社)で次のように述べています。
「思い起こせば、天河は吉野と熊野のちょうどまんなかにある。天河弁才天社の奥宮のある弥山は、吉野・熊野の七五なびきの峰々のなかでももっとも高い山である。弥山という水山を最高峰とし、水源地として、近畿一円に、東の宮川、西の紀ノ川、南の熊野川、北の吉野川と分岐するという。いつぞや宮司は、天河は『古事記』という高天原のまんなかを流れる聖なる河・天安河(あめのやすかわ)であり、東西南北に河川をもつ地上の楽園エデンであると語った。宮司からすれば、天河は日本でも稀なる聖なる場所であるという思いがあり、それが『古事記』や『旧約聖書』のなかで語りつたえられる聖なる場所と重複し、イメージ複合するのであろう。」

わたしも、天河を初めて訪れた当時、『リゾートの思想』(河出書房新社)という本を書き上げたばかりでした。このときの天河訪問から約2ヵ月後の1990年2月に上梓しましたが、この本には高天原エデンの園といった聖なる理想郷がたくさん登場します。
当時のわたしはこの世の理想郷としての「理想土(リゾート)」創造について考えをめぐらせていましたが、まさに天河に「理想土」を感じたことを記憶しています。
鎌田さんによれば、さらに柿坂宮司は「神社は宇宙船なり」と語っていたとか。
いやぁ、すごすぎますね!



さて、拝殿を出ると、すぐ能舞台があります。まことに立派な能舞台です。
天河大弁才天社は、能の聖地としても知られているのです。ライトアップに浮かび上がる幻想的な空間を見ていると、本当に宇宙船の内部のような気がしてきます。

                    幻想的な能舞台


能は「老い」と「死」の演劇です。死者と生者のコミュニケーションの物語です。
老いとは何か、死とは何かについて考えさせてくれる哲学的な芸術なのです。
能の源流をたどると遠く奈良時代までさかのぼりますが、芸術としての能を完成させたのは室町時代観阿弥世阿弥の親子です。世阿弥は、「夢幻能」を完全な形に練り上げ、「シテ」1人を中心とした求心的演出を完成させて、多くの名作を残しました。
夢幻能を観る者は、自分がまるで生と死のあいだの幽明境に在るかのような不思議な感覚にとらわれます。能は観る者の意識を変容させる力を持っているわけです。
天河大弁才天社能舞台は、まさに強力な意識変容空間のように思えます。
写真では、わたしはまるで幽霊みたいに青白く写っています。
ここにいると、なんだか時空が歪んでくるような錯覚にとらわれます。
ふと、「ここで葬儀をやってみたい」と、わたしは思いました。
不謹慎でしょうか? ここなら究極の葬送儀礼ができると真剣に思うのですけれど。


2010年3月26日 一条真也