宇宙船の船長

一条真也です。
天河大弁財天社の柿坂神酒之祐宮司は、宗教者としてのオーラに満ちた方です。神酒之祐(みきのすけ)という名前は本名です。すごすぎますね。


柿坂神酒之祐宮司


神社は20年ぶり2度目の訪問ですが、柿坂宮司にお会いするのは今回で4回目です。2回目は、鎌田東二さんが神道ソングライターとして國學院記念会館でデビューした時。3回目は、やはり鎌田さんが京都大学こころの未来研究センターの教授に就任されたお祝いが京都で開催された時です。 今回を含め、いずれも鎌田さんを介した御縁というわけです。天河は「役の行者」こと役小角ゆかりの地ですが、わたしに多くの素晴らしい方々を紹介して下さる鎌田さんこそは「縁の行者」であると思っています。



最初に柿坂宮司に出会ったのは、神社ではなく、奈良の近鉄八木駅でした。1990年の12月18日、わたしは鎌田さんを八木駅でお待ちしていました。一緒に、天河大弁財天社を訪れるためです。
その前日、わたしは伊勢市で講演をしました。当時、プランナーとして翌年に伊勢市で開催される「世界祝祭博覧会」のイベント企画の仕事をしていました。
拙著『遊びの神話』(PHP文庫)を読まれた伊勢市市議会議長(後に市長)の中山一幸さんのお声がけによるものでした。その流れで講演の依頼も受けたわけです。同じ日に、鎌田さんも京都の国際日本文化研究センターで「日本神話における他界観の形成」というテーマで研究発表をされることになっていました。
そこで互いに、それぞれ伊勢と京都での所用をすませて、どちらから来るのにも都合がよく、また天河への経由地に当たる八木駅で落ち合うことになったのです。



八木駅で待っていたら、鎌田さんがもう一人の連れの方と現れました。わたしが「誰だろう?」と思っていたら、なんと、その方が柿坂宮司だったのです。聞くと、京都駅で鎌田さんと偶然出会い、そのまま二人で来られたとのこと。柿坂宮司は、長らく天河にいるけれども、こういう奇遇はないと驚かれていました。わたしたちは、なんだか「未知との遭遇」に直面しているような不思議な浮き立つような気分のまま八木駅前からタクシーに乗り込みました。大きな峠を二つ越えて、途中で丹生川上神社に立ち寄って参拝し、1時間あまりで目的の天河大弁財天社に着きました。



その夜、しんしんと降る雪をながめながら、3人で夜中の3時過ぎまで酒を飲み、語り合いました。鎌田さんは今ではお酒をまったく飲まれません。しかし、その当時は想像を絶するほどの大酒飲みでした。鎌田さんと柿坂宮司の会話は、本当は人間が空を飛べるとか、満月の夜は気が満ちすぎていて滝に打たれると怪我をするとか、とにかく大変刺激的な内容でした。
わたしは、当時26歳で、今から考えると若造でした。しかし、わたしは自分のやっているリゾート開発の話題に触れ、「乱開発はよくない、特に木を切ることはよくない、日本人の心である『国体』というソフトを守るためには、まず『国土』というハードを守る必要があるといったことを述べた記憶があります。



柿坂宮司の声はとてもソフトというかマイルドというか瞑想的で、その声を聞いているうちにたまらなく眠くなったのですが、今回も同じでした。宮司の声には催眠効果ならぬ誘眠効果があるようです。古来、すぐれた宗教家というものは、みな美声の持ち主であったとか。天河大弁財天社とゆかりの深い空海などが代表格とされています。柿坂宮司の声にも、何か人の心の奥底に入り込む秘密があるような気がします。また宮司は、とても懐の深さというか、包容力を感じさせてくれる方です。その人柄を慕ってか、全国から「宗教」や「スピリチュアル」に関係のある人々が天河にたくさん集まってきます。中には上祐史裕氏などの元オウム信者も来るようですが、宮司は相手が誰でも分け隔てなく接し、彼らに道を説くこともしばしばだそうです。



さて、柿坂宮司は神事において、「神社は宇宙船なり」と宣りごちたことがあるとか。鎌田さんは、著書『聖地への旅』(青弓社)で、「神社が宇宙船ならば、宮司はその宇宙船の船長だろう。とすれば、ときおりそこに寄留する私などは、招かれざる乗組員ということになろうか。この宇宙船の船長は、ほかの宇宙船ーーUFOをよく目撃するという」と述べられています。わたしが初訪問した20年前のその時すでに、鎌田さんは50〜60回は天河神社を訪れていたそうです。「精神世界の六本木」として世間から注目されていた天河は、よくUFOが出没するスポットしても知られていました。鎌田さんも、この地に来るたび、UFOや宇宙人や神や仏や魔といったイマジネーションに心をとらわれたとのことで、『聖地への旅』に次のように書かれています。
「天河へ行くたびに、私はこうしたさまざまな思いにとらわれる。それは『神社は宇宙船なり』と道破した宮司へのメッセージから触発されてくるものだ。柿坂宮司に初めて会ったときの印象は、『この人は縄文土偶のような人だな』というものだった。ギョロリとした大きな眼、褐色の肌、がっしりした体躯。一般の宮司のイメージからはほど遠いその特色のある風貌は、なぜか私に縄文土偶を思い出させたのである」



宇宙船の船長にして縄文土偶
ますます、すごすぎます。
そんな柿坂宮司が自身で焼かれた解器(ほどき)を拝見しました。鳳凰をイメージされたものだそうですが、わたしは、すぐさま手塚治虫の『火の鳥 宇宙編』を連想しました。宇宙船の船長さんは、やはり宇宙がお似合いのようです。


鳳凰をイメージした柿坂宮司製作の解器



2010年3月26日 一条真也