ダライ・ラマの言葉

一条真也です。

今朝の「毎日新聞」にダライ・ラマ14世のインタビュー記事が掲載されていました。
ダライ・ラマは、「現代の聖人」とも呼ばれます。言うまでもなく、チベット仏教の最高指導者にして世界の宗教界における最重要人物の一人ですね。
1989年には、世界平和への活動などが評価され、ノーベル平和賞を受賞しています。


               「毎日新聞」のインタビューで語る


「内面的価値 見直そう」と題されたインタビューでは、まず「日本は経済的に発展しましたが、自殺する人が12年連続で3万人を超える時代になりました」というインタビュアーの言葉に対して、ダライ・ラマはこう答えます。
「人々は何千年も神に祈り、精神的な力を得てきました。18〜19世紀初期に起きた産業革命で、祈りが果たせなかったことを科学の助けによって発展させ、よい結果をもたらしました。科学技術は精神的なものに取って代わり、お金が人々の心に浸透しました」
しかし、その言葉の後で、「20世紀以降、精神的な価値が見直されてきています」「私たちは内なる価値の重要性を学ばなければなりません。慈悲や愛といった内面にある価値は内なる平和を基礎にしているのです」と語ります。
これは、わたしが『ハートフル・ソサエティ』(三五館)という著書で述べた内容とまったく同じでしたので嬉しくなりました。



わたしは、ダライ・ラマ14世をリスペクトしています。
単なる宗教家としてだけではなく、政治家としても卓越した人物だと思います。
そのことは、インタビューの「祈りだけでは問題は解決しません。私たちは教育システムを直視しなければなりません」という言葉にもよく表れています。
わたしは、一度だけダライ・ラマの肉声を聞いたことがあります。
2008年11月4日に北九州市を訪れた彼の講演会においてでした。
福岡県仏教連合会の主催でしたが、わが社はパンフレットの広告などで協力させていただきました。午後からは一般向けの講演会もあったのですが、佐久間会長とわたしは午前中に行なわれた宗教者向けの講演会に参加し、多くの僧侶たちと一緒に「現代の聖人」の話を聴きました。

ダライ・ラマは、これまで世界各地の行なってきた講演と同様に、「思いやり」というものの重要性を力説していました。そして、人を思いやることが自分の幸せにつながっているのだと強調したうえで、次のように述べました。
「消えることのない幸せと喜びは、すべて思いやりから生まれます。思いやりがあればこそ良心も生まれます。良心があれば、他の人を助けたいという気持ちで行動できます。他のすべての人に優しさを示し、愛情を示し、誠実さを示し、真実と正義を示すことで、私たちは確実に自分の幸せを築いていけるのです」

これと似た言葉を、かつてあのマザー・テレサも次のように語っています。

「私にとって、神と思いやりはひとつであり、同じものです。思いやりは分け与える喜びです。それはお互いに対する愛から小さなことをすることなのです。ただ微笑むこと、水の入ったバケツを運ぶこと、ちょっとした優しさを示すこと。そういったことが思いやりとなる小さなことです。思いやりとは人々の苦しみを分かち合い理解しようとすることで、それは人々が苦しんでいるときにとてもいいことなのだと思います。私にとっては、まさにイエスのキスのようなものです。そして思いやりを与えた人が自分の思いを分け与えながらイエスに近づくというしるしでもあります」



ここで注目すべきなのは、ダライ・ラマブッダの教えを、マザー・テレサはイエスの教えを信仰する者であるということです。異なる宗教に属する二人が、「思いやり」という言葉を使って、まったく同じことを語っています。
キリスト教の「愛」、仏教の「慈悲」、儒教の「仁」なども含めて、すべての人類を幸福にするための思想における最大公約数とは、おそらく「思いやり」の一語に集約されるでしょう。そして、その「思いやり」を形にしたものが「礼」や「ホスピタリティ」です。
そもそも、この世の中のあらゆる人々がホスピタリティ・マインド、つまり「思いやり」の心を持っていれば、戦争など起こらないはずです。しかし、かのチベット暴動において、チベット仏教の僧侶たちによる暴力行為が指摘されています(もっとも、ダライ・ラマ14世は、それは中国のデマゴーグであると講演会で強調していました)。また、時を同じくしてエルサレムの「ゴルゴダの丘」でキリスト教徒たちによる集団乱闘事件もありました。
まったく暗澹たる気分になりますが、ダライ・ラマは次のように語りました
「世界が抱えている状況をじっくり考えたうえで申し上げれば、自分自身がより幸せになるために、そして、まわりの人たちも幸せになるために必要なものは、会話ではないでしょうか。会話をし、お互いに歩みよりの姿勢を持つことで、家庭や社会、世界が抱える問題をなくしていくことができると私は信じています」



多くの人々は、人間は戦争をする動物であり、戦争を地球上からなくすことなど不可能だと断言します。たしかに、そうかもしれません。
しかし長いあいだ、人類は奴隷制が永久に続くものだと信じていました。
日本でも、明治維新の前後まで、国内で内戦がなくなるなど考えられませんでした。
それが、西南戦争の後、130年間にわたって国内では戦争が起こっていません。
世界がこの日本と同じような状況に絶対にならないと誰がいえるでしょうか。
かつて、カントが『永久平和のために』で述べたように、わたしたちは地球上から戦争がなくなるまで愚直なまでに「燃えるような理想主義」を持ち続けなければならないのではないでしょうか。
人類にとって最大の「プロジェクトX」とは、宇宙空間への進出でも、心を持つロボットの開発やタイムマシンの発明でもなく、やはり戦争の根絶に尽きるでしょう。
限りなく幻に近い「永久平和」の扉を開くには、会話という、あまりにも人間的な方法しか、わたしたちは持ちえません。
戦争根絶は、誰が何と言おうと、各人の「思いやり」から。
そして、「思いやり」のある社会へ至るために、「会話」の重要性を知ること。
それは、『ハートフル・ソサエティ』で、わたしが一番強く訴えたことでした。


                  人は、かならず「心」に向かう


2010年5月3日 一条真也