雨の金沢

一条真也です。

金沢に来ています。
午後から北陸大学で担当する「孔子研究」の授業がありました。
中国人留学生を含む289名の学生を相手に1時間半、喋りまくりました。
また、留学生のために、なるべく漢字を使って黒板に大きく板書しました。
いつも、授業が終わると、スーツがチョークの粉だらけになります。(笑)


                  乾いた人心に雨を降らせる思想


今日の金沢は雨が降っていました。
そこで、今日のテーマである「孔子とその時代」にあわせて、偉大な聖人たちの思想が雨に通じているという話をしました。孔子の説いた「仁」も、老子の「慈」も、ブッダの「慈悲」も、もともとは水に由来する思想です。「仁」「慈」「慈悲」の語源にはいずれも、水が与えられて植物が育つという意味があるのです。
さらに孔子儒教を開きました。
儒教の「儒」という字は「濡」に似ていますが、これも語源は同じです。
ともに乾いたものに潤いを与えるという意味があります。すなわち、「濡」とは乾いた土地に水を与えること、「儒」とは乾いた人心に思いやりを与えることなのです。
孔子の母親は雨乞いと葬儀を司るシャーマンだったとされています。
雨を降らすことも、葬式をあげることも同じことだったのです。
雨乞いとは天の雲を地に下ろすこと、葬式とは地の霊を天に上げること、その上下のベクトルが違うだけで、天と地に路をつくる点では同じです。
母を深く愛していた孔子は、母と同じく「葬礼」というものに最大の価値を置き、自ら儒教を開いて、「人の道」を追求したのです。


                      雨に煙る東茶屋街


大学の授業を終えたあと、わたしの好きな金沢の東茶屋街に寄りました。ここには、泉鏡花室生犀星徳田秋声らが愛した古き良き金沢のたたずまいが残っています。
雨がしとしと降る東茶屋街は、「非日常」や「幻想」といった言葉がよく似合います。
「非日常」あるいは「幻想」の世界といえば、ミステリー・ホラー・SFです。
この3つの文学ジャンルは、いずれもイギリスのロンドンで誕生しました。
わたしは、それには理由があると思っています。
それは、ロンドンという都市は雨が多くて晴天の日が少ない「霧の都」だったからです。
霧が多いと、視界が制限されて、よく世界が見えません。
つまり、世界が見えにくいと、逆に見えない世界が見えてくるのではないでしょうか。
その意味では、日本で最も日照時間の少ない都市である金沢もまったく同じです。
金沢は泉鏡花をはじめ、多くの幻想作家を生みました。
また、西田幾多郎鈴木大拙といった思想界の巨人も生みました。
その理由は、ロンドンとたったく同じだと考えています。
つあり、金沢も雨が多くて晴天の日が少ない「霧の都」だからではないでしょうか。
雨の金沢で、霧の中を歩いていると、不思議な感覚にとらわれます。
それは、このまま異界へ入って行くような不思議な感覚です。


2010年5月19日 一条真也