舞台「おくりびと」

一条真也です。

東京に来ています。
昨日、(社)全日本冠婚葬祭互助協会(全互協)の総務委員会に出席した後、赤坂ACTシアターで舞台「おくりびと」を観ました。
映画「おくりびと」から7年後のストーリーを描いています。
映画版と同じ小山薫堂作で、本木雅弘が演じた主人公を中村勘太郎が、広末涼子が演じた主人公の妻を田中麗奈が、山崎努が演じた納棺会社の社長を柄本明が、それぞれ舞台版では演じています。


                   あれから7年後の物語


内容はネタバレになってしまうので、詳しいことは書けません。
でも、休憩前のストーリーの脚本に退屈さを感じたのとは反対に、休憩後のストーリーでは衝撃的な事件が起こり、観客の心を一気に捕らえます。
また、もちろん「死」がメインテーマなのですが、3人称の死から2人称の死、そして1人称の死へと視点が変化してゆくさまは興味深かったです。
ただ、気になった点もありました。
映画「おくりびと」は葬儀業界がサポートしました。わたしたち互助会業界も同様で、わが社も数千枚単位でチケットを購入し、全社員で観賞しました。
それで、業界の人々の感想を聞く機会が多かったのですが、2点だけどうしても納得がいかないというか、非常に評判が悪い場面がありました。
一つは、広末涼子演じる妻が、納棺師になった夫に対して、「さわらないで!汚らわしい!」と拒絶する場面。
もう一つは、山崎努の社長が面接に来た主人公に、札束をポンと渡し、月50万円の給料を約束する場面です。現実では、そんなことはありません。
おくりびと」という映画は、一見、葬儀業界へのエールのように見えます。
また、実際にエールであるとも思うのですが、この二つの場面が一般の人々に更なる偏見を植え付けたことも事実だろうと思います。
やはり、小山薫堂氏にとっては、しょせん他人事の話なのでしょうか。
舞台版でも、あいかわらず葬儀業界への偏見や差別が描かれています。それどころか、映画版になかった子どもの「いじめ」の問題まで加わり、深刻さを増しています。
最後にそれらの偏見や差別が消え去るような感動は、ありませんでした。
それから、またしても、納棺会社の面接場面で月50万を提示する場面が出てくる。
これには、腹立たしい思いを抱きました。



あと、映画版でも舞台版でも共通することですが、「石ぶみ」のエピソードは余計です。
「石ぶみ」オチというか、最後に故人が石ぶみを握りしめていたということで、物語をハッピーエンドに完結させようとしていますが、わたしには安易な脚本としか思えません。
関係ないかもしれませんが、わたしが先日出演したテレビ東京の「ワールドビジネスサテライト」の「スミスの本棚」には、その前に小山薫堂氏と幻冬舎見城徹社長が出演されていました。お二人は非常に懇意だそうです。
そういえば、小山氏の著者が何冊か幻冬舎新書から出ています。
幻冬舎新書といえば、島田裕巳著『葬式は、要らない』も出しています。
幻冬舎という会社は、本当に不思議な会社だと思います。
昨今の葬式無用論では、「葬儀業界の金儲け体質」などと批判されていますが、商売の上手さにおいては、わたしは葬儀業界などより出版業界のほうがずっと上手だと思いますけどね。その出版業界の中で、一番の商売の達人が幻冬舎さんでしょう。
商売が上手いことは、けっして悪いことではありません。
あくまで資本主義のルールにのっとった商行為ですから。
しかし、同じ資本主義の土俵の上で商行為をしても、いつも葬儀業界だけは悪く言われるのはなぜか。たしかに一部の悪徳業者もいるのでしょうが、やはり「人の死を利用して商売している」という偏見がいまだ強く残っています。
来月から、わたしは全互協の広報・渉外委員長に就任します。
業界のイメージアップとしては、確かに出版や映画や舞台も効果があるでしょう。
しかし、本当の王道とは何か。
それはやはり、消費者いや国民の信頼に応えて、満足度の高いサービスを提供できる業界となることでしょう。
そんなことを、舞台「おくりびと」を観ながら考えました。


2010年6月3日 一条真也