ソクラテスの言葉

一条真也です。

四大聖人の3人目は、ソクラテスです。
言うまでもなく、西洋哲学の祖とされる人物ですね。
彼は「聖人」の他にも、「哲人」という異名も持っています。


                    ソクラテスは何を語ったか


ソクラテスは、紀元前469年にアテネで生まれました。
その生涯のほとんどをアテネで過ごしたとされています。デルフォイの神託所でアポロンの託宣を受けたことをきっかけに、人々と哲学的対話を交わす生活に入りました。
その「無知の知」へ駆り立てる方法は、独特の皮肉と論理性を備え、相手に「魂を大切にすること」の必要を教えました。しかし、ソクラテスの方法は危険な詭弁とも受け取られたのです。その結果、裁判にかけられて処刑されました。
「哲学は死の予行演習」と考えたソクラテスは、ただ生きることは人間の生ではなく、「善く生きる」が大切であるとしました。自身の著作は一つもありませんが、弟子のプラトンの数多くの作品に、ソクラテスの倫理的な姿が刻まれています。



では、ソクラテスの言葉を紹介したいと思います。
まず、最も有名なのは、「私は何も知らない。」(無知の知)、「徳は知なり。」「知と行いは同じである。」(知行合一)などですね。
その他の言葉も紹介しましょう。なお、( )は出典名です。
「魂は不死である。」「悪法もまた法である。」(プラトン著『ソクラテスの弁明』)
「大切にしなければならないのは、ただ生きるということではなくて、善く生きるということなのだ。」(同『クリトン』)
「人間にとっては、徳その他のことについて毎日談論するという、このことが、まさに最大の善きことなのであって、わたしがそれらについて問答しながら自分と他人を吟味しているのを諸君は聞かれているわけであるが、これに反して、吟味のない生活というものは人間の生きる生活ではない。」(同『ソクラテスの弁明』)
「世にもすぐれた人よ、君はアテナイという、知力においても最も評判の高い偉大なポリスの人でありながら、ただ金銭をできるだけ多く自分のものにしたいというようなことにばかり気をつかっていて、恥ずかしくはないのか。評判や地位のことは気にしても思慮や真実のことは気にかけず、魂をできるだけすぐれたものにするということに気もつかわず心配もしていないとは」(同『ソクラテスの弁明』)
「何か言い遺しておくことはないかだって? まさにいつも語ってきたことだよ、クリトン。何も新しいことなどない。つまり、君たちが君たち自身を配慮していれば、何を為そうとも、私にも私の身内にも君たち自身にも、喜ばしいことをしていることになるのだ。」  (同『パイドン』)
「私はクリトンを説得していないようだね。『私』とは、いま対話を交わし、語られた各々の言葉を配置した、このソクラテスであるということを。」(同『パイドン』)
ソクラテス最期の言葉「クリトン、私たちはアスクレピオス神に鶏のお供えをする務めを果たさなければならない。君たちがその責務を果たしてくれたまえ。配慮を怠らずにね。」(同『パイドン』)


2010年12月1日 一条真也