親子の再会

一条真也です。
今日は久々のOFFなので、横浜に住んでいる娘に会いにいこうと思っています。
朝食を取りながら「読売新聞」を開くと、「娘に会えた」という大きな活字が目に飛び込んできました。よく見ると、「四十九日 娘に会えた」という大見出しの記事でした。


                 「読売新聞」4月29日朝刊


昨日は、あの東日本大震災から「四十九日」の節目の日でした。
宮城県石巻市立大川小学校では合同供養式が営まれました。
同校では、児童108人のうち約7割が死亡・行方不明になっています。
非公開で行われた供養式には、遺族や学校関係者ら約300人が参列しました。
式では、狩野あけみさん(42)が挨拶をしました。
狩野さんの三女である愛ちゃん(12)がまだ見つかっていませんでした。
狩野さんは、「早く迎えに行ってやりたい」と言葉を述べたそうです。



式が終了して帰る途中、あけみさんは警察から電話を受けました。
それは、「6年生くらいの女の子の遺体が見つかりました」という身元確認を求める電話でした。あけみさんは喪服のまま、会社員の夫・孝雄さん(42)と一緒に遺体が見つかった場所に駆けつけました。
遺体確認用のコンテナ内で見たのは、変わり果てたわが娘の姿でした。あけみさんは、下着の色と足に結ばれていたミサンガなどから愛ちゃんだと確認したそうです。



大震災発生後から連日、狩野さん夫妻は愛ちゃんを捜し続けてきました。
遺体が見つかったのは大川小から南東に数百メートルの山林近くでした。
このあたりは何度も通った場所でしたが、昨日、捜索隊ががれきを撤去した後で土を掘り起こしたところ、発見したということです。
わが娘と対面した孝雄さんは、最初に「あの時見つけてやれなくてごめんな。ごめん」と謝罪の言葉を口にしました。
また、昨日が四十九日の節目の日だったことから、「愛が『お父さん、お母さんに体返してやっか』という思いで出てきてくれたのかもしれない。手のかからない子だったけど、最後は甘えてくれたのかな」と目を真っ赤にしながら言われたとか。
それを読んだわたしも、涙がとまらなくなりました。
あけみさんはハンカチで何度も涙を拭いながら、「見つからないかもしれないと思っていた。これでゆっくり供養してやれます」と言われたそうです。
それを読んで、また泣きました。今日わたしが会うのは大学1年生の長女ですが、小倉で一緒に住んでいる次女は小学6年生、つまり愛ちゃんと同い年なのです。
狩野さんご夫妻の心中を思うと、たまらない気持ちになります。



わたしは、「四十九日」に両親と再会した愛ちゃんに、両親への「愛」を感じました。
四十九日とは、仏教でいう「中陰」であり「中有」です。死者が生と死、陰と陽の狭間にあるため「中陰」と呼ばれるわけですが、あの世へと旅立つ期間を意味します。
すなわち、亡くなった人があの世へと旅立つための準備期間だとされているのです。
しかし四十九日には、亡くなった方が旅立つための準備だけではなく、愛する人を亡くした人たちが故人を送りだせるようになるための「こころの準備期間」でもあります。
ある意味で「精神科学」でもある仏教は、死別の悲しみを癒すグリーフケア・テクノロジーとして「四十九日」というものを発明したのかもしれません。
亡くなった直後の対面ならショックが大き過ぎるけれども、四十九日を迎えてからなら、少しは「こころの準備」もできている。
そう考えて、愛ちゃんが両親と再会したのかもしれないなどと思いました。



それにしても、「お父さん、お母さんに体返してやっか」という言葉は泣けます。
わたしは、人間にとって、葬儀とはどうしても必要なものだと確信しています。
そして一般的に、葬儀をあげる遺族には遺体というものが必要です。
このたびの大震災では、これまでの災害にはなかった光景が見られました。
それは、遺体が発見されたとき、遺族が一同に「ありがとうございました」と感謝の言葉を述べ、何度も深々と礼をしたことです。
従来の遺体発見時においては、遺族はただ泣き崩れることがほとんどでした。
しかし、この東日本大震災は、遺体を見つけてもらうことがどんなに有難いことかを遺族が思い知った初めての災害だったように思います。
儒教の影響もあって日本人は遺体や遺骨に固執するなどと言われますが、やはり亡骸を前にして哀悼の意を表したい、永遠のお別れをしたいというのは人間としての自然な人情ではないでしょうか。



被災地の埋葬サポートに行ったスタッフなどから話を聞くと、津波で亡くなられたお子さんたちは意外にも安らかで、傷ついていないきれいな顔をしているそうです。
一方、その子たちの親御さんの死に顔は悲惨なものが多いとか。おそらく、その瞬間、親たちは必死の思いでわが子を抱きかかえ、守ったのだろうということでした。
まさに「死守」という言葉を連想しますが、自身の命を引き換えにしても守りたかったわが子の命を守れなかった無念さを思うと、やりきれません。
大川小では、依然として6人の児童の行方がわからないそうです。
現在も、親御さんたちが必死に子どもを捜しておられます。
孝雄さんは「最後の1人が見つかるまで、通い続けます」と言って、あけみさんと一緒に捜索隊に加わったとのことです。
わが子の遺体と対面した直後、服を着替えて、他の子の捜索に向った狩野さん夫妻。
同じ親として、このご夫妻に多くのことを、学ばせていただきました。今日、娘に会ったら、いつの日か自分も親になるであろう彼女に、この話をしてあげようと思います。
大川小学校の6人の児童をはじめ、すべての行方不明者が一日でも早く見つかることを願っています。そして、狩野愛さんの御冥福を心よりお祈りいたします。合掌。


2011年4月29日 一条真也