スナック ふれあい

一条真也です。

ブログ「マスター、お疲れさま!」に書いたように、「小倉の止まり木」ことスナック「レパード」のマスターである西山富士雄さんが昨夜引退されました。



                  「朝日新聞」10月1日朝刊


「小倉の夜も寂しくなるなあ・・・」と思って目覚めたら、今朝の「朝日新聞」のオピニオン欄に「スナック ふれあい」という特集記事が掲載されていました。
手に取ってみると、「無縁社会に生きる人々の絆をつなぐ。それがスナック。繁華街で、住宅地で、農山漁村で、被災地で、今夜もともるネオンは、ふれあいの証し。地域社会とスナックを考える」と書かれていました。
おお、「孤族の国」キャンペーンの朝日も、素晴らしい企画を考えるではないですか!



被災地である釜石のスナック「999」のママ・久保節子さんは、東日本大震災で店が被害に遭いました。しかし、壁を少し明るめの色にしただけで、他は震災前と変えなかったそうです。お客さんへの接し方も震災前と変わらないとか。
震災後、最初にドアを開けて常連のおじさんは、家を流されて仮設住宅で1人暮らしをしていました。「ここで全部はき出さねえと、寝らんね」と言ったそうです。
また別のお客さんが、店の再開後初カラオケに「TSUNAMI」(サザンオールスターズ)を入れたとか。ママの久保さんは驚きましたが、「被災地のスナックだからこそ許されるのかも」と思ったそうです。歌の内容など関係ないというのです。
最近では、仮設住宅から来る人も増えてきました。久保さんは語ります。
「仮設では周りに気兼ねして飲めねえようですっけ。スナックが1軒もなくなった隣の大槌町から来る人もいる。タクシー代の方が高いのに。気持ちの復興に、必要としている人がいるのさ。知らない相手でも津波を話題にすっと、会話が弾む」
呑兵衛同士だから「まんず飲むべし」ということなのでしょう。
スナックが「気持ちの復興」の場というのは、よくわかりますね。
お客さんには、家族を亡くした人も、1人暮らしの人もいます。
久保さんは「みんな体験や思いも、先行きの不安も話したい。話し過ぎると湿っぽくなって、どっからか『やめよ』と声が出て話題を変える。でもまた戻る。そんな繰り返しで癒やされていくんでねえかな」と語ります。
この久保さんの言葉には、グリーフケアの真実があるように思いました。



それから、編集者・写真家の都築響一さんが次のように語っています。
「スナックというのはすごくユニークな店舗形態なんです。日本全国どこでも、3千円から5千円くらいで飲める。銀座の一等地でも、地方の過疎地でも変わらない。インテリアや食べもの、置いてある酒も大差ない。特に『売り』がないのに、ママとかマスターの人柄だけで何十年も続いている店がある。人格で売る商売なのがすごい」
スナックという商売を「人格で売る」と表現したのは名言ですね。たしかに、わたしが通うスナックは、どれもマスターやママの人柄が最大の魅力になっています。
都築さんによれば、スナックに3回も行けば立派な常連だそうです。
いわばもう1つ「家」が増えるようなものだとして、次のように述べます。
「自分の家では妻も愚痴を聞いてくれないけれど、こっちの『家』では聞いてくれる。会社では上司と部下の板挟みになっていても、こっちでは仕事に関係ない話で盛り上がれる。社会的な肩書を捨てられる場所なんですね。行きつけのスナックを2、3軒もっていると、すごく心の健康にいいと思いますよ」
どの国にも、それぞれそういう居場所があります。
フランスならカフェ、イギリスならパブ、アメリカならバー。
そして日本では、それがスナックというわけですね。



さらには、「浅草キッド」の玉袋筋太郎さんも登場。
玉袋さんは、次のようにじつに素晴らしい発言をしています。
「スナックではママの虫の居どころが悪い時だってある。変な客と同席する時もあるんだ。そこで、どう臨機応変にコミュニケーションを取るか。全国どこへ行っても同じメニュー、接客じゃつまんない。かび臭いトイレ、ママが水道水で洗ったおしぼり。それもまたいいんだ」
「初めての店では、まずカウンターに座って店の潮目を読む。隣で石原裕次郎歌ってるのに、EXILEなんかダメだよ。店の雰囲気に合わせなきゃ。知らないお客さんの聞きたくもない歌だって半身で振り返って拍手すれば『おっ、仲間だな』と、心を開いてくれる。それがコミュニケーションってやつだろ」
カラオケボックスで仲間うちで盛り上がってるから、若い人は知らない人とのコミュニケーションが苦手なんだ。おれは新入社員の研修をスナックでやればいいと思ってる。他人とのコミュニケーションを学ぶ絶好の場だぜ」
いやあ、いちいち名言ですね! 玉袋さんは、スナックは今、日本の地域社会のコミュニティーを担っていると断言します。でも、誰も気づいてないというのです。そして最後に、「素晴らしい日本の文化。残しとかなきゃ子どもたちが可哀想だ」と語るのでした。



わたしにとって大事なマスターが引退した翌朝、新聞紙上にこのような記事を見つけて、わたしは苦いモーニング・コーヒーを飲んだのでした。
「レッツゴー!!おスナック」とつぶやきながら・・・・・。そうそう、ブログ「荒木町」で紹介した漫画家の東陽片岡先生も特集記事に登場してほしかった!


2011年10月1日 一条真也