樹木葬

一条真也です。

萩の山中にある曹洞宗の宝宗寺にやってきました。
まんが日本昔話」に出てきそうな場所にある山寺ですが、ここは「樹木葬」のメッカとして有名です。裏山は昔からの集落の墓地ですので、宗教を問いません。
山里の小さなお寺ですが、現在までに28世400年ほどの歴史があります。


まんが日本昔話」に出てきそうな場所でした

宝宗寺の前で記念撮影

顔を削って煎じたとされる「木喰仏」



宝宗寺の三上隆章住職にご挨拶した後、本堂にお参りしました。
本堂には「木喰仏」と呼ばれる木彫りの仏像があります。
「みな人の心をまるく まん丸に どこもかしこも まるくまんまる」で知られる木喰上人の、願を掛けられた千躰のうちの二体で晩年の作だそうです。
そのうちの一体は、「延命地蔵」と呼ばれる仏像でした。
信仰により、顔を削って煎じたのではないかと思われます。残念なことに表情をうかがう事ができませんが、本来はやわらかい笑顔を浮かべていたといわれています。
わたしたちはお寺へのお土産に小倉名物である湖月堂の栗饅頭を持参したのですが、お茶受けに出されたお菓子がまったく同じ栗饅頭でした。
わたしたちも、住職ご夫妻も大笑いし、一気に空気が和みました。
それにしても、さすがは湖月堂の栗饅頭!


ひたすら山道を歩いて登りました



それから、三上住職に樹木葬の現地を案内していただきました。
宝宗寺の樹木葬は、2005年に墓地として認可されている里山(現在は宝宗寺の裏手にある山)に遺骨を埋葬し、そこで記念植樹が行われています。
しばらく、宝宗寺の裏山を黙々と歩いて登りました。
ネクタイを締めて、スーツを着て、革靴を履いて、登山しました。
木々の緑がキラキラと輝き、空気がとても美味いです。
なんだか、ルンルン気分になってきます♪
わたしは元来が山男なので、山に来ると生き返りますな(ウソぴょ〜ん)。


里山にて、三上住職と



ずっと登っていくと、たくさんの木の名札のある里山に着きました。
そこには、故人の遺骨とともに、さまざまな苗木が植えられています。
現在、約120人分の方がすでに植樹されています。
でも、そのすべてが故人ではありません。
故人の遺骨の数は50人分くらいだそうです。
遺骨は直接埋葬するか、土に返る骨壷を使っても構わないそうです。
骨壷を使用する場合は、土に返る素材のものなら利用できます。
使用できるものは、木箱、紙箱、布など・・・・・。
使用できないものは、陶磁器、ガラス、プラスチック、化繊などです。
宝生寺では、希望者に竹を骨壷としてご用意しています。
これが、なかなか人気があるそうです。


たくさんの名札のある樹木葬の墓地



本人もしくは遺族が選んだ苗木を植えます。
希望があれば、土をかけるのに参加できます。
墓石などは置きませんが、場所には目印をつけ、他の方と重なるのを避けています。
苗木は、落葉樹の低木、花木 果樹等の中で土地に合うものの中から選べます。
苗が根付かない、気候などにより枯れた場合、10年間は新しい苗を植え替えます。
10年以上たって山の木が自然に枯れる事はあまりないようです。
それ以後は、自然に生えた木を育てる事とするそうです。
里山の上方は、桜を植樹する「桜葬」の墓地になっていました。


住職より説明をお聞きする



埋葬の際の宗教儀式についてですが、宝宗寺の樹木葬墓地は宗教・宗派に関係ありません。墓地のみ、つまり土に返る場所としてのみ、使うことができます。
ですので、お寺とのつながりや宗教の違いといったことを気にせず、安心して選ぶことができます。宗教により儀式の形式や必要性などが異なる場合もありますので、事前に打ち合わせを行い、自由に決めてもらうそうです。


桜を植樹する「桜葬」の墓地



樹木葬」エリアのさらに上手には、桜のみを植樹する「桜葬」エリアとなっています。
山中であるために萩市内より少し気温が低く、花の咲く時期は遅れます。
ということで、5月には桜が、11月には紅葉が美しいそうです。
ぜひ、その季節に「月あかりの会」の会員様をバスでお連れしたいと思いました。


豪華なお弁当をいただきました



里山から下りると、ちょうどお昼になりました。
なんと、ムーンギャラリーの進藤美恵子さんが、豪華なお弁当を作ってきてくれました。
おかずは、筑前煮、卵焼き、ウインナー炒め、春巻、ハムカツ、手羽先など。
また、牛肉や豚肉で巻いた、あるいは桜色の生ハムで巻いたおにぎり。
それは、それは、素晴らしいお弁当でした。
同じく、ムーンギャラリーの古賀麻衣子さんも、サンドイッチを作ってきてくれました。
BLTサンドと卵サンドです。これも、じつに旨かった!
たくさん食べて、わたしはお腹いっぱいになりました。
わたしは、先日の仙台出張に同行した「サンレーの喰いしん坊バンザイ」こと首藤哲哉課長にも食べさせてあげたいなあと少しだけ思いました。


熱弁をふるわれた三上住職



食後は、三上住職とお話をさせていただきました。
最初は「樹木葬」に関する話でしたが、実現までには困難な道程があったようです。
特に萩という土地は封建的であるので、なかなか苦労されたそうです。
それほど封建的な場所から吉田松陰のような革命家が出現したのは興味深いですね。
わたしは、三上住職も現代日本仏教の革命家ではないかと思いました。
実際、三上住職から「日本の坊さんは酒を飲みすぎる。夜の街を徘徊するなど、とんでもないことだ!」とか、「檀家制度は50年以内に崩壊する」などの意見を頂戴しました。
熱弁をふるわれる三上住職の姿に、「まだ、こんな志の高い仏教者がいるとは・・・・・」と思いました。きちんと剃髪された三上住職は、まさに「山寺の和尚さん」といった風情で、わたしはなんだか嬉しくなりました。



樹木葬」は、「海洋葬」と同じく自然葬の一種です。
ルーツはイギリスです。ロンドン市営の霊園と火葬場が併設される施設に、「メモリアル・ガーデン」と称する一区画があります。
火葬率が約七割強とキリスト教国の中でも高いイギリスですが、火葬後の遺灰の葬り方には、土の下の納骨堂に埋蔵する、墓石のあるお墓に埋める、広々とした墓地内の芝生に散骨する、あるいは雑木林の中に墓石を建てないで遺骨を埋めるなど、さまざまな選択肢が用意されています。
その中に、バラの木の根元に眠るという「メモリアル・ガーデン」という選択肢があります。バラの木の下に小さなプレートがあり、そこに故人の名が記されているのです。
そこはいわゆる森林埋葬地で、160エイカーの広い牧場の一角です。遺体を、埋葬した場所には苗木が植えられており、いつの日かここは、うっそうとした森になるわけです。
この「死んだら木になって森をつくろう」というエコロジカルなイギリスの葬法は1994年に登場しましたが、これと同じ発想から生まれたのが日本の「樹木葬」なのです。
樹木葬は「散骨」ではないので、遺骨を砕きません。
つまり、「死して土に還る」「やがて花木となってよみがえる」という葬法なのです。
実際に「樹木葬」の里山を視察して、いろいろと考えるところも多かったです。


2012年4月10日 一条真也