新藤兼人監督の通夜

一条真也です。

東京に来ています。
ブログ「100歳天国へ」に書いたように、5月29日、映画監督の新藤兼人氏が老衰のため亡くなりました。100歳でした。明治、大正、昭和、平成と4つの時代を生き抜いた国内最高齢の監督でした。その新藤監督の通夜が、今日18時から東京は芝の増上寺で営まれました。わたしも、北九州から駆けつけて参列しました。


増上寺にやってきました

東京タワーを望む増上寺



わたしは、新藤監督の名作「裸の島」に多大な影響を受けました。
「裸の島」には、粗末で悲しくて、そして豊かな葬式が登場します。
貧しい島の貧しい夫婦の間に生まれた少年の葬式です。
少年は、両親、弟、先生、同級生という、彼が愛した、また愛された、多くの“おくりびと”を得て、あの世に旅立って行きました。
そう、1960年に製作された「裸の島」は「おくりびと」に先立つこと48年ですが、両作品はともに、人間にとって葬式が必要であることを粛然と示す映画だったのです。


マスコミ陣の数もすごかったです



葬儀の必要性や重要性を素晴らしい映像で示して下さった新藤監督ご自身のお通夜ということで、わたしは色々なことを考えました。
多くの映画人やファンの方々も来ていました。
おそらく1000人はいたのではないでしょうか。
祭壇は、胡蝶蘭カサブランカをメインにした素晴らしいものでした。
白い花々の中央で、新藤監督の遺影が飾られていました。最前列の席には、俳優の津川雅彦さんが呆然とした表情で座っておられたのが印象的でした。


メッセージカードと会葬礼状



本当は明日の葬儀・告別式に参列したかったのですが、明日は板橋で「グリーフケア」の講演を行う予定が入っています。
わたしは、合掌しながら、「新藤監督、お疲れさまでした。あちらでは、乙羽信子さんと幸せに暮らしてください」と心の中でつぶやきました。
そして、喪主である新藤次郎さんに御挨拶させていただきました。
会葬礼状に添えられたカードには、「生きているかぎり生きぬきたい」という故人の直筆メッセージが記されていました。新藤監督の御冥福をお祈りいたします。合掌。


新藤監督、お疲れさまでした・・・・・


2012年6月2日 一条真也