ミャンマー大使館

一条真也です。

今朝、サンレーグループ佐久間進会長と一緒に、東京都品川区北品川4丁目にあるミャンマー大使館を訪れました。緑豊かで閑静な住宅街の中にある大使館です。
ここで、ミャンマーのキン・マゥン・ティン大使にお会いすることになっているのです。


ミャンマー大使館の前で、佐久間会長と

ミャンマー大使館の看板



ミャンマーは、今もっとも注目されている国の1つです。大使館の正門前で、ミャンマー仏教界の最高位にあるダッタンダ・エンパラ大僧正とお会いしました。
今日は土曜日なので大使館は休みですが、わたしたちのために特別に中に入れていただきました。大使館の敷地内にはテニスコートなどもあり、のどかな雰囲気です。


ミャンマー大使館の掲示



ブログ「世界平和パゴダ」にも書いたように、ミャンマー上座部仏教の国です。
上座部仏教は、かつて「小乗仏教」などとも呼ばれた時期もありましたが、ブッダの本心に近い教えを守り、僧侶たちは厳しい修行に明け暮れています。
ブログ「平和のために」に書いたように、現在の日本は韓国・中国・ロシアなどと微妙な関係にある国際的に複雑な立場に立たされています。日本を取り囲む各国は自国の利益のみを考えているわけですが、それでは世界平和などには程遠いですね。
わたしは、ミャンマーこそは世界平和の鍵を握る国であると思っています。



現在、国際的に「仏教ブーム」だそうです。
その背景には、一神教への不安と警戒が大きくあります。
キリスト教世界とイスラム教世界の対立は、もはや非常に危険な状態に立ち入っています。この異母兄弟というべきキリスト教イスラム教の対立の根は深く、これは千年の昔から続いている業です。しかもその業の道をずっと進めば、人類は滅びてしまうかもしれない。それを避けるには、彼らが正義という思想の元にある自己の欲望を絶対化する思想を反省して、憎悪の念を断たねばならない。
この憎悪の思想の根を断つというのが仏教の思想に他なりません。


ミャンマー大使と大僧正が迎えてくれました



仏教は、正義より寛容の徳を大切にします。
いま世界で求められるべき徳は正義の徳より寛容の徳、あるいは慈悲の徳です。
この寛容の徳、慈悲の徳が仏教にはよく説かれているのです。
わたしは、仏教の思想、つまりブッダの考え方が世界を救うと信じています。
そのブッダの考え方が生きているミャンマーの大使館を訪れ、非常に感無量でした。
その後、ミャンマーと日本にとって非常に重要な出来事がありました。
いま時間がありませんので、詳しくは後ほど報告いたします。


2012年8月25日 一条真也

平和のために

一条真也です。

おはようございます。東京にいます。
昨日は、親戚の葬儀に参列するために千葉県に行ってきました。
夜は、ある業界関係者の方と都内でお会いしました。
その方は、わたしのブログをいつも読まれているそうです。
もともと社内研修用に始めたブログであり、わが社の社員ぐらいしか読んでいないと思っていたので、驚きました。今後は発言にも気をつけなければいけないと強く思いました。


産経新聞」8月25日朝刊



ところで、昨夜は野田佳彦首相が首相官邸で記者会見を開き、島根県竹島沖縄県尖閣諸島について日本の領土であることを明確に宣言しました。
首相は、「わが国の主権に関わる事案が相次いで起こり、誠に遺憾の極みだ。わが国として看過することはできない」と表明し、さらに「毅然とした態度で、冷静沈着に、不退転の覚悟で臨む」と述べました。各人いろいろ感想はあるでしょうが、日本の首相が領土問題について明言したことは意義があったと思います。
竹島を不法占拠している韓国は、案の上、反発しているようですが・・・・・。


朝日新聞」8月25日朝刊



韓国、中国、そしてロシア・・・・・日本を取り巻く各国の思惑は、「世界平和」からは程遠いものです。わたしは、ある国を世界平和の鍵として見ています。
じつは、これからその国の大使館に佐久間会長とともに行ってきます。
今日、新しい平和の物語の幕が開く予感がします。
詳しいことは、また後で報告いたします。


2012年8月25日 一条真也

『幻獣ムベンベを追え』

一条真也です。

『幻獣ムベンベを追え』高野秀行著(集英社文庫)を読みました。
アフリカ大陸・コンゴの奥地には、太古の昔より謎の怪獣モケーレ・ムベンベが生息するといわれています。そのムベンベ発見に挑む、早稲田大学探検部11名の密林サバイバル78日間を記録したノンフィクションです。


謎の怪獣を追う痛快ノンフィクション



本書は、もともと1989年に『幻の怪獣・ムベンベを追え』(早稲田大学探検部)としてPHP研究所より刊行されました。1966年生まれの著者は早稲田大学第一文学部卒業なので、わたしの大学の後輩に当たります。ちょうど、わたしの家内とは学部の同級生になりますね。著者を含むワセダ探検部のメンバーはアフリカの奥地に怪獣を探しに出掛けたわけですが、こんな凄い連中が同級生だったとは、家内も驚くでしょう。
卒業後、著者はノンフィクションライターとなりました。本人の公式サイトによれば、「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをして、それを面白おかしく書く。 をモットーに執筆活動をつづける辺境作家」だそうです。そして「辺境作家」の他にも、著者には「UMA(未確認生物)研究家」という肩書きがあります。



本書の「目次」は、以下のようになっています。
「プロローグ」
第一章:コンゴ到着
第二章:テレ湖へ
第三章:ムベンベを追え
第四章:食糧危機
第五章:ラスト・チャレンジ
第六章:帰還
「エピローグ」
「あとがき」
早稲田大学探検部コンゴ・ドラゴン・プロジェクト・メンバー一覧
文庫版あとがき
SPECIAL THANKS
解説(宮部みゆき



まず、本書の主役ともいえる「ムベンベ」とは何か。
「プロローグ」で、著者は次のように書いています。
「怪獣の名は、通称コンゴ・ドラゴン、本名モケーレ・ムベンベ(これは現地語で“水の流れをせきとめるもの”の意味だそうだ)、年齢不詳、おそらく太古の昔より棲息していると思われる。現地の人々は古くからその存在を信じており、一種の魔物として恐れているという。この怪獣はコンゴのこのテレ湖以外でも広く見られており、ヨーロッパの文献にも早い時期から登場している。18世紀後半、フランスのキリスト教伝道団が、90cmもある大型動物の足跡を発見したのをはじめ、『茶色がかった灰色の長くしなやかな首をした動物を見た』(1913年)、『巨大な蛇がカバを殺したあと、首を伸ばして岸辺の草を食べていた』(1930年)など、多数の目撃報告がある。
それらの証言を総合すると、長い首、太い胴、ゾウのような四肢、体長10〜15m・・・・・どうもネス湖ネッシーのような恐竜像が浮かび上がってくるではないか。しかも、このコンゴのジャングルは、世界で最も氷河期の影響が少なかった地域だという」


世界一有名なUMAであるネッシーが登場しましたが、第四章「食糧危機」で著者はネッシーについて次のように書いています。
ネス湖ネッシーもソナーによる徹底的な調査で否定的な結果が出て以来、実在論者は『ネス湖は海にトンネルで通じておりネッシーがそこを往来している』という説を前面に押し出しているらしい。調査のときはたまたまどこかに出かけていて留守だったということか。私はネッシーについては研究していないのでよく知らないが、自分ならソナー調査の結果をまず疑うだろう。あんなに広い湖なのだ。それほど厳密な調査ができるわけがない。“徹底的な”とは主催者側の発表でそれをうのみにすること自体が危険である。生物が潜んでいそうな湖底の岩陰、小さい穴など意外にとらえられていないんじゃないか。また、調査を行った人間が、ネッシーについてあらかじめどのような意見を抱いているかも問題だ。断言してもいいがおそらく正体不明の影も結構映っていたことだろう。否定論者なら、どんなえらい学者でもろくに確かめもしないで『あー、そんなの水草水草』なんてことにすぐなってしまいそうな気がする。ま、われわれくらいは、自分の見たもの、自分の足で確かめたことだけを信じていきたいものだ」



また、本書の「あとがき」に著者は次のように書いています。
「何事にも『理由』があると思う。たとえば、ネッシーは今まで何百人もの人々によって目撃されているという。『そんなのいるわけないよ』というのは簡単だが、『いるわけない』のなら、なぜそのような現象が起きるのだろうか。
もし、特定の場所で何百人もの人々が声をそろえてウソをついているとすれば、それは古代の一生物が生き残っているのと同じくらい珍しい事であると言わねばならない」
と、このように著者のムベンベ発見にかける姿勢は真剣そのもので、シャレなどではありません。完全なガチンコ探検だったのです。


「幻獣とは何か」の仮説を立てました



「幻獣」といえば、わたしは2010年2月に『世界の幻獣エンサイクロぺディア』(講談社)という監修書を出版しました。表紙を憧れの永井豪先生に描いていただいた一冊ですが、そこでわたしは「幻獣とは何か」について考察しました。
そして、幻獣の正体について、わたしは4つの仮説を立てました。
第1の仮説は、幻獣とは人間の想像力が生み出した存在であるということ。
第2の仮説は、幻獣とは未発見の実在する生き物であるということ。 
第3の仮説は、幻獣はこの世界ではなく異界において実在するということ。
そして第4の仮説は、幻獣とは人間の無意識の願望が生み出したというものでした。
これは、第1の想像力仮説とは違います。想像力はあくまで意識的なものですが、これは無意識のうちに幻獣を生み出すという人間の心のメカ二ズムに根ざしています。



現代において最大の幻獣といえば、やはりネス湖ネッシーが思い浮かびます。
ナショナル・ジオグラフィックの制作する「サイエンス・ワールド」という番組でネッシーが取り上げられたことがあります。わたしは、市販されているそのDVDを観たことがあるのですが、非常にショックを受け、深く考えさせられました。1933年に初めて写真撮影されてから、多くの目撃証言が寄せられ、写真や映像が公開されてきたネッシー。最初の写真はトリックだったと明らかになり、その他の写真や映像もほとんどは、流木の誤認をはじめ、ボートの航跡、動物や魚の波跡などであったといいます。
その正体についても、巨大ウナギやバルチックチョウザメ、あるいは無脊椎軟体生物などの仮説が生まれました。今のところ、どの説も決定打とはなっていません。
しかし、そんなことよりも、わたしは番組内で行なわれた1つの実験に目が釘付けになりました。それは、ネス湖に棒切れを1本放り込んで、湖に漂わせておくのです。それから、ネス湖を訪れた観光客たちにそれを遠くから見せるのです。その結果は、驚くべきことに、じつに多くの人々が棒を指さして「ネッシーだ!」と興奮して叫んだのでした。



わざわざネス湖にやって来るぐらいですから、ネッシーを見たいと願っていた人々も、その実在を信じていた人々も多かったでしょう。
そして、現実の結果として、彼らの目には棒切れが怪獣の頭に映ったのです。
人間とは、見たいもの、あるいは自分が信じるものを見てしまう生きものなのです。
幻獣も興味深いですが、それを見てしまう人間のほうがずっと面白いと思いました。
ネッシーを見たのと同じメカ二ズムで、かつてドラゴンや人魚や河童や天狗を見てしまった人間は多いはずです。いや、幻獣だけではありません。神や聖人や奇跡など、すべての信仰の対象について当てはまることではないでしょうか。  



きっと、人間の心は退屈で無味乾燥な世界には耐えられないのでしょう。
そんな乾いた世界に潤いを与えるために、幻獣を必要とするのではないでしょうか。
いま、ファンタジー、アニメ、ゲームなどで昔ながらの幻獣が大量に復活し、大活躍しています。きっと、これも現実の世界が乾いていて、つまらないせいでしょう。
人間が生きていく上には幻獣の存在が欠かせないようです。
そう、幻獣が世界を豊かにするのですね。そして、本書の著者などはまさに「退屈で無味乾燥な世界には耐えられない」心を持った人なのだと思います。
いわば、少年のような心を持った大人だと言ってもよいでしょう。わたしにもそういう部分があると自覚しているのですが、大学の後輩である著者にはとてもかないません。
本書を読めばわかりますが、大変な苦労をして準備し、費用を捻出し、実際にアフリカの奥地にまで怪獣を求めて探検に行くわけです。
現地では、ゴリラ、チンパンジー、カワウソ、トカゲ、ワニまで食べます。
メンバーの中にはマラリアにかかって生死を彷徨う者も出ます。
そこまでして怪獣発見に情熱を燃やす姿は、「バカじゃないか」という思いを通り越して、「これは凄いわ!」という感動さえ呼び起こします。
わたしには、とてもここまで出来ません。この素晴らしい後輩たちは、ある意味でもっとも「ワセダらしい」連中ではないかと思いました。


わたしは、子どもの頃に放映されていた水曜スペシャルの「川口浩探検隊」シリーズが大好きでした。わたしより少し下の世代である探検部の彼らも、きっとこの番組を観て、影響を受けた部分が大きかったのではないかと思います。
それにしても、「怪獣を探しに行く」という発想をし、実際に行動してしまう人が本当にいるのですね。わたしは、かつて、若き日の石原慎太郎都知事ネッシーを探しにネス湖の探検隊に参加したことを思い出しました。
いやあ、「怪獣探し」に勝る男のロマンがあるでしょうか?
わたしは、かつての石原知事や本書の著者を心から羨ましく思います。
IT化が進行し、グーグルマップやストリートビューで全て明らかにされていく世界は、どんどんロマンが失われていく世界でもあります。こんな世界において、辺境を旅し、未知の生物を求め続ける著者の生き方は注目すべきだと思います。
これからも、著者のロマン溢れるノンフィクションを読んでみたいです。


2012年8月25日 一条真也

『エリア51』

一条真也です。

『エリア51』アニー・ジェイコブセン著、田口俊樹訳(太田出版)を読みました。
「世界でもっとも有名な秘密基地の真実」というサブタイトルがついています。
著者のアニー・ジェイコブセンは、アメリカの調査報道ジャーナリストです。
「ロサンゼルス・タイムズ・マガジン」の編集などに携わっているそうです。


世界でもっとも有名な秘密基地の真実



本書の帯には、「全米に衝撃を与えたベストセラー。100人を超える関係者に徹底取材。禁断の秘密基地の全貌が遂に明らかに。核実験、ロズウェル事件、知られざる人体実験―米政府がいまだ存在を認めない軍事施設の驚愕の歴史」と書かれています。
また、カバーの折り返しには次のような内容紹介があります。
ネヴァダ州の砂漠地帯に位置する軍事施設エリア51。
UFO墜落・宇宙人の遺体回収で知られる『ロズウェル事件』の舞台として世界的に有名であるにもかかわらず、現在も当局によってその存在は伏せられている。
調査報道ジャーナリストの著者は、極秘の開発計画に携わっていた物理学者への取材をきっかけに、エリア51に住み、勤務した30人以上から貴重な証言を得ることに成功。その結果、冷戦下の軍事秘史が初めて明らかになった。大統領さえも除外される厳重な管理体制のもと、いったい何が行なわれてきたのか? 100人以上の関係者証言をもとに、大きな謎に包まれた秘密基地エリア51の内部に初めて踏み込む!
超音速爆撃機の開発をめぐるソ連との攻防、ロズウェル事件の真相、核および人体実験の知られざる驚愕の事実など、アメリ軍事史の闇の迫る渾身のノンフィクション」



本書の「目次」は、以下のようになっています。
プロローグ:秘密都市
第1章:エリア51の謎
第2章:架空の宇宙戦争
第3章:秘密基地
第4章:陰謀の種子
第5章:情報適格性
第6章:原子力事故
第7章:ゴーストタウンからブームタウンへ
第8章:転落するネコとネズミ
第9章:基地の再構築
第10章:科学、テクノロジー、仲介の達人たち
第11章:どんな飛行機?
第12章:さらなる隠蔽
第13章:汚くて退屈で危険な任務は無人偵察機
第14章:砂漠のドラマ
第15章:究極の男社会
第16章:ブラックシールド作戦とプエブロ号事件の知られざる歴史
第17章:エリア51のミグ
第18章:メルトダウン
第19章:月面着陸捏造説と、エリア51にまつわるその他の伝説
第20章:空軍の支配――カメラ室から爆弾倉まで――
第21章:驚くべき真実
エピローグ
訳者あとがき
取材協力者と参考文献



第1章「エリア51の謎」の冒頭には、次のように書かれています。
「エリア51はまさしく謎である。誰もがその正体を知りたがっているのに、そこでおこなわれていることを完全に把握している者はごくわずかしかおらず、多くの人がこう考えている――エリア51というのは最先端の諜報活動および戦闘システムに関連した秘密基地だと。なかにはこんなふうに考えている者もいる――エイリアンや捕獲したUFOの存在する闇の世界だと。実際のところどうかと言えば、エリア51というのは、どの国より迅速に軍事科学技術を発展させる目的でつくられた連邦政府の秘密施設だ。それがなぜネヴァダ州南部の高地砂漠――周囲を山でぐるりと囲まれた、世の中から隔絶された場所――にこっそりとつくられたのか。それこそエリア51最大の謎だ」


500ページ以上のボリュームの本書では、その「エリア51の謎」の謎について書き尽くしています。エリア51というと、やはりUFOやエイリアンの死体のことをまず連想しますが、わたしはUFOについての考えをブログ「UFOについて」に書きました。
UFOが最も頻繁に目撃されたのは冷戦時代のアメリカです。
冷戦時代に対立したアメリカとソ連の両大国は絶対に正面衝突できませんでした。
なぜなら、両大国は大量の核兵器を所有していたからです。そのために両者が戦争すれば、人類社会いや地球そのものの存続が危機に瀕するからです。
そこで、第二次大戦後には、米ソ共通の外敵が必要とされました。
その必要が、UFOや異星人(エイリアン)の神話を生んだのではないかと思います。
いわゆる「空飛ぶ円盤」神話が誕生したのは、アメリカの実業家ケネス・アーノルドが謎の飛行物体を目撃した1947年です。第二次大戦から2年を経過し、3月には事実上の冷戦の宣戦布告であるトルーマン・ドクトリンが打ち出されています。
東西冷戦がまさに始まったその年に、最初のUFOがアメリカ上空に出現したのです。


かつて米ソ共通の最大の敵といえばナチス・ドイツでしたが、その後任として、宇宙からの侵略者に白羽の矢が立てられたとは言えないでしょうか。
「UFOはナチスが開発していた」とか「ヒトラーは地球の裏側で生きていた」などというオカルティックな俗説が流行するのは、新旧の悪役が合体したイメージに他なりません。
本書『エリア51』に書かれているUFOの正体は、わたしの考えとほぼ合致したので非常に納得できました。しかし、最後に明かされるロズウェル事件で実在したというUFOの搭乗員の死体、いわゆるエイリアンの死体の正体だけは突拍子もない説が述べられます。これならば、いっそ地球外生命としての宇宙人が正体であったというほうが理解しやすいぐらいです。


本書はノンフィクションですが、その核心部分(UFOとエイリアンの正体)についてはネタバレになるように思われるので、あえてここでは明かしません。
興味がある方は、ぜひ本書を通読されてみて下さい。
ちなみに、本書にはアポロが月に行かなかったという「月面着陸捏造説」に関する話題も登場します。UFOに対する関心だけでなく、軍事問題に関心のある方には途方もなく面白い本であることを保証します。一言でいうと、本書の最大のテーマは「米ソ冷戦」であり、その優れたノンフィクションとなっています。


そして、もう1つの大きなテーマは「核」であり、「放射能」です。
エリア51は、ずばり、ネヴァダ州の核実験エリアのど真ん中に位置していました。
「訳者あとがき」には、次のように書かれています。
「現在わが国が抱えている大きな問題、放射能汚染に関する記述にも驚かされる。米ソのあいだで部分的禁止条約が締結され、地上での実験が中止されるまで、1950年代から60年代初頭にかけて、ネヴァダ核実験場でおこなわれた核実験管理のなんと杜撰だったことか。コスト削減というだけのために核爆弾を気球に吊るして爆発させたり(その気球が風で吹き飛ばされ、ラスヴェガス方面に流されるという事故が現に起きている)オゾン層が破壊されてもそんなものはすぐに修復されるなどと真面目に論じられていたり、核実験の除染がまったくおこなわれていなかったりと、これまた今なら誰もが怖気立つような事実だ。さらに、条約締結後も162回という核実験が地下でおこなわれ、その半数近くで大気圏への『偶発的な放射漏れ』が発生しているという。それらの放射能はどこに飛散し、今どこに蓄積されているのか。半世紀もまえのことではないかと言うなかれ。プルトニウム半減期は2万年を超えるのである」



そう、人類を滅亡させることが可能なのは宇宙人の攻撃ではなく、地球上で生まれた放射能なのです。ブログ「『こころの再生』シンポジウム」に書いたように、7月11日の夜、京都の百万遍で作家の玄侑宗久さんや宗教学者島薗進さんたちと飲みました。
そのとき、玄侑さんと島薗さんのあいだには放射能の人体影響についての認識の違いがあり、激論が交されました。ちょうど、玄侑さんがアメリカの陰謀について話をされたので、わたしは読了したばかりの本書の内容を簡単に説明しました。玄侑さんは、「アメリカという国なら、そういうことも有り得るでしょうね」と言われたのが印象的でした。


プルトニウム半減期は、じつに2万年を超えるといいます。
それにもかかわらず、アメリカは1945年の世界初の「トリニティ実験」から1992年のアメリカ最後の「ジュリアン作戦」まで、数えきれないほどの核実験を行ってきました。
この事実を受けて、訳者の田口俊樹氏はアメリカについて次のように述べます。
「核爆弾の威力だけでなく、放射能が生物に及ぼす影響に関しても膨大なデータを持っていても不思議ではない。しかし、今回のわが国の原発事故に関して、チェルノブイリやスリーマイルはよく引き合いに出されても、『米軍の資料によれば』といった報道は訳者の知るかぎりまったくなされていない。それはこうしたデータもまた『機密事項』だからなのだろうか。軍事機密には軍の最高司令官である大統領さえ知ることのできない情報があるというからには、そんな勘繰りもしたくなる」
さらに、訳者の次の一文を読んだとき、わたしは戦慄しました。
放射能汚染について本書では、もうひとつ興味深い指摘がされている。ミミズが移動させる土壌の量が半端ではないというのだ。そうしたミミズはどこにでも飛んでいる鳥に食べられ、鳥はどこにでも糞をする。言われてみればもっともなことで、これが事実とすれば、今の日本でいったいどんな対策が取れるのか。いささか不安になる」
放射能問題について考えている人にも、本書をお勧めします。


最後に、エリア51から発着していた「ドラゴンレディ」の愛称で知られる「U−2」偵察機が多くの人々によって空飛ぶ円盤に誤認されたと本書には書かれています。
U−2機は長い翼を持ち、地上から見上げるとまさに未知の飛行物体でした。それが当時の常識を遥かに超えた高さをこれまた常識外れの速さで飛行したのです。そのため、エリア51周辺の人々をはじめとした多くの「UFO目撃者」を生んだというわけです。
U−2の後継機である「オックスカート」ことA−12、「ブラックバード」ことSR−71といった超高速・高高度偵察機もしばしばUFOとして目撃されることになります。
この事実を初めて知ったわたしは非常に驚くとともに、話題の「オスプレイ」こと「V−22」軍用機のことを連想しました。言わずと知れた垂直離着陸輸送機ですが、あの動きなどはまさにUFOを思わせるのですが・・・・・


2012年8月24日 一条真也

冠婚・衣装責任者会議

一条真也です。

ブログ「葬祭責任者会議」ブログ「総務・人事責任者会議」で書いたサンレーグループの会議に続いて、22日は「全国冠婚・衣装責任者会議」が開催されました。
会場は、松柏園ホテルバンケットフェーリーチェ」でした。


冠婚・衣装責任者会議のようす



各地から、わが社の誇る“むすびびと”たちが集結しました。
わたしの社長訓話の前に、参加者は大分県中津市の新しい結婚式場「ヴィラルーチェ」を視察しました。いま、ブライダル業界において話題になっている式場で、「スタイリッシュ&モダン」をコンセプトとし、光、水、緑、空、自然の「5つのエレメンツ」をふんだんに取り入れた、開放感溢れる空間づくりを目指しました。
採光豊かなバンケットや、プールを備えたレストランウエディング会場、4面マルチスクリーンによる壮大な演出・・・・・まったく新しいウエディングスタイルを提案しています。
ヴィラルーチェを初めて訪れた社員も多く、みんな非常に感動していました。
まず最初に、わたしはヴィラルーチェの感想について、いろんな社員に質問しました。


儀式の持つ力について話しました



中津だけではなく、わが社はこれから各地に新しい結婚式場を作っていく予定です。
最高の立地に、最高のデザイン、そして最高のハード・・・・・。
もちろん、それらに加えて最高のサービスを提供しなければなりません。
冠婚葬祭サービスを提供するという儀式産業であるサンレーは、何よりも儀式というものを大切にしています。儀式には「かたち」が必要です。
そう、「かたち」には「ちから」があるのです。
結婚式とは、不完全な男女の魂に「かたち」を与えて完全なひとつの魂として結びつけること。葬儀とは、人間の死に「かたち」を与えて、あの世への旅立ちをスムーズに行うこと。そして、愛する者を失い、不安に触れ動く遺族の心に「かたち」を与えて、動揺を押さえ悲しみを癒すこと。儀式の持つ力とは、「かたち」によって発揮されるのです。


すべて私にお任せください!



さらに、最高のホスピタリティを象徴する言葉として、わたしは「すべて私にお任せください」という一言を紹介しました。この言葉は、冠婚葬祭やホテルといったホスピタリティ産業に従事する者にとっての魔法の言葉です。
飛行機やホテルでキャンセル待ちしているとき、大事なクレジットカードを紛失したとき、そして愛する家族を失ったとき、この一言は人の心に限りない安心感を与えます。
それから、お客様の話を「聞く」ことの大切さについても話しました。
真のホスピタリティ・マインドは相手の話をよく聞くことから生まれます。
また、上司と部下との間でも「聞く」という行為が非常に重要です。
松下幸之助は、「部下の話を聞くときに、心掛けないといかんことは、部下の話の内容を評価して良いとか悪いとか言ったらあかん、ということやな。部下が責任者と話をする、提案を持ってきてくれる、その誠意と努力と勇気をほめんといかん」と語っています。



部下の意見を聞くことがリーダーにとって大事なことは言うまでもありませんが、中世・近世では「意見」を「異見」と書きました。そして、異見を聞き、率直に自己を反省することができる人物を「人望がある」と評したのです。戦国武将のなかでは、武田信玄徳川家康黒田長政の三人が意見を聞くことで知られました。 
さらに諫言というものがあります。耳に痛い直言のことですね。
歴史上の人物はみな、この諫言を聞くか聞かないかで、成功するかしないか、生き残るか滅びるかの岐路に立ちました。織田信長の育て役の平手政秀が、ヒッピーのような生活をしていた信長を諌め、それでも言うことを聞かないので切腹したのは有名です。
諫言の難しさを「人間関係」としてとらえたのは、家康で、「諫言者は、戦場の一番槍よりもむずかしい。その後の人間関係がどうもギクシャクする。正しいことを言ったのだが、言った方が疑心暗鬼になり、主人からにらまれたのではないか、と思うようになる。だから、そういうことを承知のうえで直言する真の諫言者は、一番槍異常の功労者である」と言いました。リーダーとは、異見や諫言を聞かなければならないのです。



部下に限らず、人の話を聞くときの態度も重要で、絶対にしてはならないのが腕組みと足組みです。人と会話しているときは、その人とコミュニケーションをする姿勢をするのが礼儀です。腕組みは相手とのあいだに柵を設けることであり、自由なコミュニケーションを拒否するという心理的圧力を与える結果になります。そのうえに足まで組んでいれば、さらに相手を遠ざけようとすることになります。満員電車の中で足を組む場合、自分の前に突起物を構築して、それ以上に人が近づいてこないようにする。人が攻めてきても、すぐに蹴ることができる態勢をとっているわけであり、失礼千万ですね。
わたしは人と接するとき、腕組み、足組みは絶対しないように心がけています。 



逆に、するように心がけているのは、次の3つです。
まず、必ず相手の目をやさしく見つめながら話を聞くこと。
次に、相手の話には必ず、あいづちを打つこと。
相手をほめる言葉を混ぜると、さらに相手は饒舌になる。
そして3つ目は、自分が話すときには意見ではなく、質問のスタイルをとることだ。話を聞く達人とは、表情の達人、あいづちの達人、質問の達人なのです。
今日は、そんなことなどを話しました。みんな熱心に聴いてくれていました。
少しでも日々の仕事や生活に活かしてくれればと願っています。


懇親会で挨拶する佐久間会長



その後は、総勢50名での懇親会を開催し、親睦を深めました。最初に佐久間進会長が挨拶し、「わが社は、これから冠婚にどんどん力を注ぎます」と宣言しました。続いて、わたしも挨拶し、「今夜は、大いに懇親を図って下さい」と言いました。
それから乾杯の音頭で懇親会がスタートし、宴は大いに盛り上がりました。


最後は「末広がりの五本締め」で



最後は、サンレー・オリジナルの「末広がりの五本締め」で締めました。
わが社オリジナルの文化は色々とありますが、この「末広がりの五本締め」もそのひとつです。やはり、「かたち」には「ちから」があるのだと実感させてくれます。
懇親会の後は、松柏園のラウンジで二次会も開かれ、大いに交流の輪を広げた夜となりました。わたしは、3日連続の社長訓話と懇親会で、ちょっとグロッキー気味です。


2012年8月23日 一条真也

総務・人事責任者会議

一条真也です。

21日、サンレーグループの「全国総務・人事責任者会議」が行われました。
会場は、松柏園ホテルバンケットTHE JEWEL BOX」です。
わたしは、社長訓話をするために「世界平和パゴダ」から大急ぎで駆けつけました。


総務・人事責任者会議のようす



総務・人事責任者会議が開かれるのは久しぶりですが、長年わが社の総務課長として活躍して下さった末さんの定年退職を前にして開催されました。2005年には人事の、06年には総務の責任者会議を開きましたが、そこでわたしは短歌を詠みました。
人事については、「人事とは 人の良き面引き出して 人の振り見て我が振り直せ」。
総務については、「総務とは 法を守りて人守り 祭り護りて社を護る」。
以上のような歌を詠み、今日も改めてみなさんに紹介しました。


人事とは何か

総務とは何か



それから、総務・人事共通の訓話として「人間関係」について話しました。最初に「縁」と「絆」という言葉を取り上げ、「縁」は先天的で「絆」は後天的であると述べました。
そして、「良い人間関係づくり」のためには、まずはマナーとしての礼儀作法が必要となります。いま、わたしたちが「礼儀作法」と呼んでいるものの多くは、武家礼法であった小笠原流礼法がルーツとなっています。


真剣に聴く参加者たち



小倉の地と縁の深い小笠原流こそ、日本の礼法の基本です。特に、冠婚葬祭に関わる礼法のほとんどすべては小笠原流に基づいています。
小笠原流礼法などというと、なんだか堅苦しいイメージがありますが、じつは人間関係を良くする方法の体系なのです。小笠原流礼法は、何よりも「思いやりの心」「うやまいの心」「つつしみの心」という三つの心を大切にしています。これらは、そのまま人間尊重の精神であり、人間関係を良くする精神ではないでしょうか。


「縁」と「絆」についても話しました



原始時代、わたしたちの先祖は人と人との対人関係を良好なものにすることが自分を守る生き方であることに気づきました。相手が自分よりも強ければ、地にひれ伏して服従の意思を表明し、また、仲間だとわかったら、走りよって抱き合ったりしたのです。
このような行為が礼儀作法、すなわち礼法の起源でした。
身ぶり、手ぶりから始まった礼儀作法は社会や国家が構築されてゆくにつれて変化・発展して今日の礼法として確立されてきたのです。ですから、礼法とはある意味で護身術なのです。剣道、柔道、空手、合気道などなど、護身術にはさまざまなものがあります。しかし、もともと相手の敵意を誘わず、当然ながら戦いにならず、逆に好印象さえ与えてしまう礼法の方がずっと上ではないでしょうか。
まさしく、礼法こそは最強の護身術である。そのように、わたしは思います。


「人間関係を良くする魔法」について話しました



さらに、わたしは礼法というものの正体とは魔法に他ならないと思います。
フランスの作家サン=テグジュペリが書いた『星の王子さま』は人類の「こころの世界遺産」ともいえる名作ですが、その中には「本当に大切なものは、目には見えない」という有名な言葉が出てきます。本当に大切なものとは、人間の「こころ」に他なりません。
その目には見えない「こころ」を目に見える「かたち」にしてくれるもの。
それこそが、立ち居振る舞いであり、挨拶であり、お辞儀などではないでしょうか。
それらを総称する礼法とは、つまるところ「人間関係を良くする魔法」なのです。
また礼法以外にも、江戸しぐさ、愛語、笑い、祭り、掃除など、人間関係を良くする魔法がこの世には多く存在します。それらのサワリを紹介しました。


懇親会のようす

最後は「末広がりの五本締め」で



訓話の後は、末廣課長の送別会も兼ねた懇親会が松柏園ホテルで開かれました。
サンレー北九州の中野執行役員・管理本部長の乾杯の音頭でスタートしました。
最後は、末廣課長による「末広がりの五本締め」で締めました。
さらに懇親会の後は、松柏園のラウンジで二次会も開かれました。
日頃は離れて仕事をしている仲間たちが大いに親睦を深めた夜となりました。



2012年8月22日 一条真也

世界平和パゴダ再訪

一条真也です。

ブログ「世界平和パゴダ」で紹介した寺院は、日本における上座部仏教の唯一の拠点です。今日は、それを管理する宗教法人の関係者の方々と一緒に、世界平和パゴダを訪れました。わたしにとっては、今年3月3日以来の訪問です。


関係者のみなさんと門の前で

パゴダの前で、佐久間会長と



前回は閉鎖されたパゴダ内に入ることはできませんでしたが、今回は宗教法人の代表役員を務める方に鍵を開けていただいて、中に入ることができました。
生まれて初めて入るパゴダは、素晴らしい聖なる空間でした。
まず最初に、わたしは黄金の仏像が置かれている祭壇に向かって合掌しました。


まずは祭壇に向かって合掌しました

黄金の仏像が置かれている祭壇

初めてパゴダの中に入りました



三方に貼られているステンドグラスには孔雀が描かれており、じつに見事でした。
また、ブッダの生涯を描いたビルマの仏教画がたくさん飾られていました。
この空間にいるだけで、ブッダの息吹に触れているような気がしました。
それもそのはず、パゴダの下には仏舎利が納められているそうです。
そう、ここは日本で唯一の仏舎利を有する上座部仏教の聖地なのです。
今日はサンレーグループ佐久間進会長と一緒の訪問でしたが、わたしたち父子ともども、なんとか、この貴重な宗教施設の再開に向けて尽力したいと心から思いました。


ステンドグラスが見事でした

ビルマの仏教画も素晴らしかったです



また、わたしは世界平和パゴダを見上げながら、「月」のイメージを強く感じました。
上座部仏教とは、ブッダの本心に近い仏教であると言えると思いますが、ブッダは満月の夜に生まれ、満月の夜に悟りを開き、満月の夜に亡くなったそうです。
ブッダは、月の光に影響を受けやすかったのでしょう。
言い換えれば、月光の放つ気にとても敏感だったのです。
わたしは、やわらかな月の光を見ていると、それがまるで「慈悲」そのものではないかと思うことがあります。ブッダとは「めざめた者」という意味ですが、めざめた者には月の重要性がよくわかっていたはずです。「悟り」や「解脱」や「死」とは、重力からの解放に他ならず、それは宇宙飛行士たちが「コズミック・センス」や「スピリチュアル・ワンネス」を感じた宇宙体験にも通じます。ミャンマーをはじめとした東南アジアの仏教国では、今でも満月の日に祭りや反省の儀式を行います。
仏教とは、月の力を利用して意識をコントロールする「月の宗教」かもしれません。
初めて世界平和パゴダの中に入ったわたしは、そんなことを考えました。
この世界にも誇れる「月の寺院」が一日も早く再開されますように・・・・・。


世界平和パゴダにて


2012年8月21日 一条真也